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心と社会 No.100 31巻2号
100号記念座談会
−日本の精神保健 過去・現在・未来−

 


2.精神保健のめざすもの


【小峯】加藤(正)先生、『心と社会』が出ますその前から、それが日本の精神衛生の動きの中でどのような位置づけと考えたらよいかということを話していただきたいのですけれども。

【加藤(正)】ずっと前の歴史を遡れば『脳と心』から始まっているわけですから。精神科医として、社会的、あるいは文化的な見方の指摘がずっとつながって、エスプリがあったと思うのですね。それを徳田先生がうまくキャッチされて、つながれたんだと思うのです。

 われわれにもそういう気持ちがありましたから、徳田先生が苦労されたことを見ながら、メンタルへルスとは何かということをわれわれも考えたわけです。何回も精研の中で議論して、本当にメンタルへルスが何かわからなくなるくらいでした。これはなぜかというと、医者以外の人がたくさん参加していましたから、私はやはりそれが非常に大きな意味があったと思うのです。ことに精神科以外の心理、社会の方が参加してきたことが非常に大きな意義があったと思うのです。

 われわれが一番考えたのは、精神医学、あるいは医学という範囲だけでなく、やはり社会、心理、あるいはバイオロジーも含めて、そういう全体の1つのbio-psycho-socialな立場を総括したメンタルヘルスを考えなくてはいけないと考えていたわけです。

 ところがバイオのほうは、残念ながらわれわれもそれほどうまくいかなかった。しかし、かなりバイオを取り入れてやりました。それにしてもお互いにメンタルヘルスのディシプリンが違うのです。言葉が第一に違うのです。言葉そのものが違うから、コミュニケーションができない。これはメンタルへルスの宿命みたいなものだと思っています。

 ただ、いくつかの領域が一緒になってやっていこうという、インターディスプリナリーな考え方というのは、村松常雄先生がさかんにいっていましたが、非常にむずかしい。心理の人と精神科医と話していても、言葉が違うのですね。コミュニケーションとコムニカチオンとどう違うのだと。当時はたいへん議論になりました。そういう歴史的な意味があったと思います。

【江畑】そのことに関して教えていただきたいのですけれども、アメリカでもメンタルハイジーンからメンタルヘルスという言葉に変わってきて、日本も精神衛生から精神保健と変わってきたのですけれども、そのいきさつとか、その意義というようなことについてお考えを聞かせていただけますか。

【加藤(正)】初めはメンタルハイジーンだったのですね。ドイツ流のHygieneだったわけですから、あくまでも医学の範囲だったと思うのです。それがメンタルヘルスに広がった途端に「psychoもsocioもbioも含めた科学でなければならない」というところへ動いたはずなんですが、結果的にはやはり精神科医だけがやっていたのですね。

 ですから、われわれも、六十何年の間右往左往しましたけれども、やはり精神科医のメンタルヘルスは、特殊な集団の考えとして伸びていったのであって、そこにいろいろな領域の人が入ってきましたけれども、本当の統合はまだこれからなのです。精神衛生が精神保健になり、精神保健福祉になったのは、行政的、法律的な意味からで、別な次元の問題だと思います。

【江畑】そのことに関して、江尻先生から「精神衛生から精神保健になったことの意義」といったことについてお考えを教えて下さい。

【江尻】皆さんご立派な先生方の間で私だけ医者ではないわけですけれども、心の健康について考えている者として、発言させていただきます。

 精神衛生といいますと、何か病気とか、異常というようなこととつながっているような感じが強いのです。精神保健というと、もう少しポジティブな面が入ってくるように思うのですね。

 私のように大学で学生を相手にしている者ですと、病気にならないようにというか、病気にはこんなのがあるということも教えたりもしますけれども、むしろどうしたら私たちが本当の意味で人間として、心も身体も、そしてWHOで話題になっていますスピリチュアル、霊魂というのでしょうか、そういうこともすべて含めた形でトータルに健康に生きられるかというようなことを追求していくには、やはりメンタルヘルスといいますか、精神健康というように捉えるほうがアプローチしやすいし、学生も、いわゆる括弧つきの健康な人たちも自分たちの問題として考えられるのではないかなと思います。そういう意味では精神保健というように変わったのはすごくよかったのではないかなと思っています。

【小峯】もう少し話を続けていただきたいのですけれども。医者以外の方と医者との間で、今、加藤先生は言葉が違うということもおっしゃいましたけれども……。

【江尻】私は心理学を専攻したのでもないんですね。ですから、本当はこういうところに出させていただくのもどうかなと思うんですが、むしろ精神保健教育のほうですので、また心理の方たちとも少し違うところがあるのかなと思っています。星野命先生方がやっていらっしゃる健康心理学会とか、そういうのとは少しは関係あるかなと思ったりもしているのですが…。

 かつては精神の健康などということに関わるのは医者以外の人は素人だといわれて……。ある分裂病の学生でしたが、たいへん症状が強く出て、それこそ大学にネグリジェで飛び込んできたのですけれども、その人がずっとかかっていました主治医が、わりと「お医者さん以外の人にはわからない」という考えの方だったので、カウンセラーなどに意見を聞いてはいけないというようなことをお母さんにおっしゃったようです。お母さんはわりと大学に対して信頼感を持っていらしたので、いろいろそんな手紙なども見せてくださったのです。

 ですから、やはり精神の健康というような問題はお医者さんだけではなくて、いろいろな人が関わって、それこそ治療共同体みたいに、掃除のおばさんから、洗濯をする人、炊事をする人など皆含めて、病気の人にアプローチするというのがいいんじゃないかなと思っています。お医者さんはお医者さんとして、もちろん専門職で私たちが見習っていかなくてはいけないことがたくさんあると思うのですけれども。

 今、言葉が違うといわれたのですけれども、私などは浅いところで理解していまして、たとえばサイコセラピーというのを「心理療法」と「精神療法」というように訳していますよね。もっぱらお医者様の世界では精神療法という言葉が使われていると思いますが、心理のほうでは心理療法というようにいっていますので、私は学生にいうときにもともとは1つの言葉なのだけれどもと説明しています。

 ですから、ターミノロジーがいろいろ違いますと教えにくいんですね。医学だけではなくて、ほかにもずいぶん翻訳の言葉の違うことがありますので、もうちょっと共通にできないかなと願っていますけれども。

【小峯】ありがとうございました。そういうところでいろいろ苦労された西園先生、お話しいただければと思います。

【西園】私は田舎にいるものですから、先ほどお話のあったこの精神衛生会の発展といったようなことは十分存じ上げないわけですね。そういう神代時代のことは(笑)。ただ、神代時代に呉秀三先生のおっしゃった「二重の不幸」。これを私は日本の精神医療、あるいは精神保健がずっと背負っていっているものなんだろうという気がしますね。絶えずその事柄に対して、われわれはどういう姿勢をとっているんだと。これは私は大事なことだろうと思うのです。

 『心と社会』という名前はすばらしいですね。精神医療が小さくなっていたのを広げようとしたのは、すばらしいと思うのです。

 呉先生のお仕事の中で精神病院法をつくろうとされた。しかし、実際は精神病者監護法の力というのがずっとあったですよね。それが精神衛生法のときにやっと私宅監置ができなくなって、開放されたのです。そのときに日本の精神科の先生たちが,「病院さえつくればいいんだ」と、猛烈に病院をつくったんですね。それはある意味で呉秀三先生ができなかったことを「われわれがやれるんだ」と思った。それが1つありはしないか。

 ところが、悲しいことに日本人というのはラジカルになれないものですからね。準備なしにやったということが、その後の問題を起こしてきているのだろうと思うのですね。そうした中で、精神衛生会の『心と社会』でずっと問題点を皆にアピールしていっておられる。それは地方にいる者にとっても、動きを知る上で大変役に立っていると思います。

 ただ、いえるのは、どうも精神保健をやる人たちは、わかっている人たちの中だけの議論になりかねない。もう少し社会との対話の中で話を進めていくというのが次の世代には必要なのではないかなというような気がしますね。それがやはりいろいろな意味で総点検というのがあるのではないか。昔の話ですけれども、精神病院法をつくろうとしたときの全国調査。私宅監置に関する調査をやるのに協力したその頃の大学教授たちは、おそらく日本に立派な精神医療を展開したいという熱意に燃えていたと思うのですね。それが蘇ることができればという気持ちはしていますけれども。

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続く

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