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心と社会 No.114 34巻4号
巻頭言

 生命の大切さ、心の豊かさ

南 裕子
((社)日本看護協会 会長)

 

 21世紀も早いもので3年が過ぎようとしています。この1年を振り返ってみても「戦争の世紀」といわれた20世紀の反省と教訓は活かされずに、世界中で悲しい出来事ばかりが起きています。

 わが国においても、敗戦後から続いてきた安心で平和な時代に翳りが見え始めているようで、とても心が痛みます。たとえば治安の悪化です。とりわけ少年による悲惨な事件は社会に大きな衝撃を与えました。また隣国の核開発疑惑やテロによる痛ましい事件など国際情勢についても、とても不安なことばかりでした。

 また、厳しい経済情勢・雇用環境を背景にして、中高年のうつ病の増加とともに自殺者の増加が社会問題化しています。通勤電車の「人身事故」の車内アナウンスに人々は慣れ、同情よりもむしろ電車が停止したことに腹を立てる、そのような荒んだ空気が社会全体を覆いつくしているような気がしてなりません。

 さて、ここ最近の自殺者数は5年連続で年間3万人台と高い水準で推移しています。この3万人という数字の背後には少なくとも10倍ともいわれる未遂者の存在があります。さらにその家族や友人・知人などもあわせれば年間数百万人の人々の心に深い傷を負わせているのではないでしょうか。

 このような深刻な事態を受けて、厚生労働省は自殺防止対策有識者懇談会を発足させ、昨年12月に報告書をまとめました。また今年は、地域におけるうつ対策検討会を発足させるなど取り組みを進めています。人事院においてもこの10月にメンタルヘルス対策のための研究会を発足させ、職場におけるメンタルヘルス対策の充実に向けて専門家による検討を開始いたしました。

 自殺防止には、うつ病に対する正しい理解の普及啓発、予防対策の充実、適切な診断・治療が重要であり、早期発見・早期治療を行なうことが大切です。うつ病は精神医学的なアプローチにより十分にコントロールできる病気です。しかしながら精神科のクリニックの門を叩くには、現在でも抵抗感を感じる人は少なくありません。とくに会社勤めのサラリーマンはリストラされるのではないかという不安のなかで、心や身体の不調を職場に知られたくないと考えている方々も多いのではないでしょうか。企業経営者にとっても資金繰りや従業員の給与支払い等で大変な思いをされ、日々、精神的に追い詰められた状況に置かれている方々も少なくないと思います。このような方々に対して、職場や地域で安心して気軽に相談することができる窓口をもっと増やしていくことが必要です。

 なお、うつ病は、気分や感情、思考や意欲の面に現れる症状のほかにも、身体の不調を訴えて精神科以外の医療機関に受診することがとても多い病気です。本人は身体の病気と思っていくつもの医療機関にかかっても、いっこうに症状が改善されずに、うつ病のことをよく理解している医師に出会ってはじめて精神科の受診を勧められるということもあります。うつ病によって身体症状が出現することなども含めて、多くの国民に精神疾患の正しい理解をもってもらうことが大切です。そして、回復後の職場復帰のための環境を整備することも今後の課題といえるでしょう。

 ところでここ最近、自助努力や競争原理を強調する風潮がありますが、やや行き過ぎているのではないかと心配をしています。その反動で、「癒し」「スローフード」などのブームが起こっているのではないでしょうか。

 私たちは、豊かさを求めて一生懸命に汗水垂らして働き、豊かな日本を築きました。しかし、物質的な豊かさは手に入れたかもしれませんが、心の豊かさについては省みないまま来てしまいました。そればかりか、人々が豊かになるための手段であった経済それ自体が目的化してしまい、経済の活性化のために人々が追い詰められている、歪んだ社会になってはいないでしょうか。

 私は、神戸で阪神淡路大震災を体験しました。忘れもしない1995年1月17日のことです。そのときに真っ先に被災者の救助に当たったのは、ご近所に住む被災者自身でした。震災という極めて過酷な状況においてさえ、人々の助け合いが多くの人命を救ったのです。厳しい経済状況の中でむしろ強調されるべきは、けして自助努力や競争原理ではなく、人々が助け合う、支え合うことの大切さではないかと、阪神淡路大震災の体験から強く感じています。

 かつて人間は、森に住み狩猟をして暮らし、その後、畑を耕し稲作によって文明を発達させてきました。その頃から人々は共同体をつくり助け合って生きてきました。競争だけでは人々は生きてはいけないからです。

 人々が助け合う社会では、自然と自分と他人の生命の尊さを大切にすることを学ぶのではないかと思います。この1年を振り返り、あらためて生命を大切にし、助け合い、支え合う、心の豊かな社会を、私たちの暮らしに取り戻す必要性を強く感じております。


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