ご挨拶日本精神衛生会とはご入会のご案内資料室本会の主な刊行物リンク集行事予定
当会刊行物販売のご案内

心と社会 No.133 39巻3号
巻頭言

心の保健にも客観指標が必要です

臺  弘
(坂本医院(埼玉県新座市))

私が心の保健にも客観的な指標が必要だと考えるようになったのは、それが社会生活の現場で心の保健や福祉の仕事をする際に痛感されたからです。指標とは自分と相手が一緒に判りあえる目安をもつことで、これは「誰がために鐘はなる」に気づくことでした。それは「生きている気持」が通じ合うことにもなります。心の医療に人生を懸けてきた私には、身体の医療が客観を重んじるあまりに人情や主観を忘れているという嘆きに対して楯つくつもりはありません。ただし心の医療や障害に対しては、治療者が主観に頼りすぎるのは危ないことだし、患者自身にも治療の意味を納得して参加して欲しいのです。

鐘の音はいくつかの目安で吟味する必要があるので、具体的な例について説明します。70歳を超えた老人に「車の運転には紅葉マークを付けてください」と頼んでも「まだ大丈夫」と断られた時に、物差し落しテストで25cm以上の異常値を示すなら、反応時間の延長は事故につながると説明すれば納得させることができます。同伴した孫娘は18cmでした。うつ病でもこの反応は遅くなります。対人関係ですぐ感情的になる「切れやすい」人には、血圧測定時の軽いストレスにも心拍が増加して+20/分以上の異常値を示すことが多いという事実があります。当人はグループ活動がへたで、うちで子供にまで当たりちらすと奥さんが嘆いていました。周知のように被害妄想や関係づけ傾向をもつ患者をその自覚に導くのは難しいことで、気持を楽にする薬だと勧めても納得されないことが多いのです。しかし中には自分から外来に抗精神病薬を貰いに来る人がいました。貴君に薬は何の意味があるのかと聞いたら、考えに引き返しができてくると答えました。そこで彼に乱数生成テストをしたら異常値を示しました。このテストは遊びの球廻しから思いついた「頭の中での数廻し」で、(0から9までの1桁の数字をできるだけでたらめに1分間書く)というものです。知的試験ながら答えの正誤を問うのではなく、思考転換・融通を測る指標ですから反復して施行できます。この人間乱数は数学乱数からの偏移を自由度として計算できますが、馴れた検査者は数列を眺めただけでおよその数値が判ります。これを患者に考えの不自由さの証拠として説明して、通院や服薬を納得させ、指標の改善を数量で示すことができます。以上の3テストは医療や心理の専門でない誰にもやれる計数法で、結果を統計的に検証できます。これで「神経症」と「統合失調症」が区別できると言えば、意外だと思われそうですが、子供語にさえ「クルクルパー」の言葉があることを考えれば、気違いが俗語である理由が理解されるでしょう。「精神病様障害」という用語は専門的診断としても定義なしに公認されていて、それは早期に治療を始める必要から許されているのです。

病気が治れば知・情・意の表現である3テストも正常化するのですが、少数ながら幻覚や妄想の残る人の中に成績がまったく正常の人がいました。そこで鐘の鳴り方でなく鳴らし方・叩き方の工夫もしました。面接の場面では鐘のかわりに作画法の1種のバウム・テストをメモ用紙に描いてもらいました。「実のなる木の画を描いて下さい」とだけ言って、紙と鉛筆を渡すのです。すると普通画と違う異形画が現われました。異形画はさらにつつぬけ画と硬縮画に区別されます。前者は統合失調症の陽性症状、後者は陰性症状と強い相関がありました。できた画を見ながら「これは独特ですね」(異常とは言いません)と言ったら、「天井がつつぬけだ」と答えて薬を飲むことをすぐ承諾した人がいました。

こうして4組のテストから「簡易客観指標」ができました。これは精神状態像の意・情・知・想の基礎機能を15分間で客観的に示すことのできる世界で珍しい試みです。この方法は10年前から始めて、統計学者・三宅由子と精神科医・斉藤治の協力の下に、坂本医院の外来患者約300人と対照正常者約100人について、多くは複数回、長きは10年にわたる長期経過の追跡の間になされました。全部で数百回に及ぶ経験から、それは私の診療にすっかり馴染んで、診療簿にも記録されているので病歴を辿るのに役立っています。福島の丹羽真一は、これをUBOM─4(Utena, s Brief Objective Measures─4)と略称して普及に応援してくれています。

昔は自分が正常だという診断書をくれと頼まれたら、相手は大概異常だという精神科医の常識がありましたが、近頃は異常かも知れないから診断して欲しいという依頼がくる時代となりました。その時に客観テストで正常ですと告げると安心して帰られます。時には私に第三者診断を求めて来る人がありますが、患者に渡す診療医への開封手紙に客観テストの成績を含めて意見を述べると、前医への干渉を避けながら公正な判断を患者にも伝えることができます。現在の精神科診断は操作的記述症状論に基づく大まかな分類で、専門内の申し合せの域を脱しないものが多いのです。多軸診断と呼ばれても精神障害か性格障害かの区別は時に曖昧で、精神障害の間にも中間型や移行型やスペクトル診断などがあります。発症初期に見通しをつけて適切な治療や助言をすることや、長期の転帰を考慮して生活支援を行なうには、客観指標の構想を欠かすことはできません。私の構想はその1歩に過ぎないものです。どうか皆様のご理解とご協力を願う次第です。


ご挨拶 | 日本精神衛生会とは | ご入会の案内 | 資料室 | 本会の主な刊行物 | リンク集 | 行事予定