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心と社会 No.136 40巻2号
巻頭言

「私立精神科単科病院」に移って見えてきたもの

加藤進昌
(昭和大学医学部精神医学教室・付属烏山病院)

よく知られていることであるが、わが国の精神科医療は精神病床の80%を占める民間精神科病院によって担われている。しかもその経営は診療報酬という全国一律の基準によってしばられている。精神科の場合にはこれに生活保護を受けている慢性精神疾患の患者層が厚いという事情が加わる。つまり、入院している限り「お上」が取りはぐれのない費用保証をしてくれている。いわば資本主義のインフラの上に社会主義的な診療構造がのっかっているわけである。この世界的に見てもかなり特異なシステムは、近代的精神医療のさきがけとなった精神衛生法制定(1950)の時代に戦後の困窮期にあった国にはお金がなく、民間での病院設立によって公的な精神医療システムを代替させてしまったことに起因する。おかげで一定の条件下であればそれなりに経営が成り立つレベルでの民間病院が続々と作られ、全病床数の4分の一、約35万床という精神病床がほぼ現在に至るまで維持されることとなった。

この「一定の条件下」という意味は、生活保護の水準以下の料金で成り立つ「薄利多売病棟」であり、通常療養病床と呼ばれている。もっとも当院の慢性期病棟には療養区分の病棟はなく、すべて出来高なのであるがその平均1日1床当たりの単価は14,000円程度である。東京の23区内にあって三食付いて基準看護、医師も巡回してこの程度のお金なのである。これでは新宿のホテルでは部屋代にもならない。さきごろ若手のドクターを連れてボルチモア(上原投手のいるオリオールズのホームタウン)のジョンズホプキンス大学の精神科を見学する機会があったが、親しい精神科准教授に1日の入院料を聞いたところ基本料金が2,000ドルということであった。7,8年前に同じところで聞いたときは1,200ドルくらいの返事だったので相当に上がっている。しかもこれは基本料金なので、看護や薬の料金が別途加わるとすると彼我の差の大きさにはまさに空いた口がふさがらない。

筆者は現在の病院に2007年着任した。当院の前身はまさに民間精神病院(1926〜)であるが、現在(1951〜)は大学付属病院であり、その意味では「私立精神科単科病院に移った」というのは正確ではない。かつ大学の方針によって大学の精神医学講座そのものが旗の台の本院から当院に移転しており、私のミッションはその体制整備とそれに伴う病院の近代化であったから、大学と民間病院の中間、中2階のような立ち位置を与えられたという方が事実に近いかもしれない。しかし、当院はその創立の経緯から東京都精神科病院協会(東精協)の古参会員病院であり、当て職で自動的に会員として東精協の会合に出たり、診療報酬改定のような機会には説明会で必死に請求要件などを筆記するというような体験は、ずっと国の機関である大学や研究所にいた身にとってはそこそこカルチャーショックではあった。

さて着任して病院を眺めてみると、かつての木造平屋の病舎はすでになく病院は見事に近代化を遂げていた。しかし、中を見ると一部に急性期治療病棟や認知症病棟はあったが病棟には在院数十年という方もまれでなく、中庭には何人かの慢性統合失調症の患者さんが決まった道筋をゆっくり歩き回っておられた。医師を含め医療者側もそういった光景にいわばマッチしていた。時間がゆっくり流れていた。厚労省が精神障害者の地域移行支援の美名のもとに7万床を「社会的入院」と断じて病床削減、介護施設への転換を図っているのは周知のことである。確かに新規の入院患者さんが慢性化する率はかつてに比べて激減しており、慢性期病棟はそのまま高齢者病棟の様相を呈しつつあるのは全国共通の現象である。これは放置していれば、いずれ入院患者さんたちが寿命で亡くなっていかれるのに合わせて病棟は空床化していくことを意味する。別にお役人の手を借りなくても徐々に病棟はなくなっていくのである。当院をその流れに任せるわけにはいかない。慢性的自殺に至る道は阻止しなければ。

表は過去10年間の当院の診療統計である。この2年間、救急入院料算定病棟(いわゆるスーパー救急)のための改築と算定開始、アルコール症のみを対象とする病棟から個室中心のアメニティの高い一般病棟への転換(精神科的パターナリズムからの脱却)、デイケアを福祉的な通所施設から就労支援のためのステップとする試み、ナイトケアの廃止、慢性期病棟の一部を亜急性期病棟として病棟の機能別再編・退院支援の司令塔に、などなどの対策を打ってきた。大学付属病院の顔としては発達障害専門外来とデイケアの開設、脳画像研究センターの設立も行った。この成果はしかし、表を眺めてみるとまだまだという感を深くする。この2年間はむしろ移行期の痛みばかりが目立っていたようである。病棟改築のためもあるが、2007年度は超長期入院患者さんの転院を大々的に行った結果、退院者数が入院者を100名上回るという経験もした。これは一層の赤字要因となり途中でブレーキをかけざるを得なかった。計算をすると動きのない病棟を維持している方が病棟削減による経費削減効果よりもはるかに効率が良いのである。精神病床がいかに薄利多売構造になっているかを痛感させられた。この国の医療政策は間違っている。

2008年度にはようやく入院者数が上向き、在院日数の短縮化の道筋も見えてきた。稼働率の低下は病棟工事によるものも含まれるが、もうひとつの改善が必要である。しかし、かつての97%などという数字はもはやあり得ない。

ここにお示ししたのは、筆者が与えられた状況で行ったいわば個人的歴史の披歴にほかならない。自分史の中ではほとんどコペルニクス的転回に等しい「めくるめく体験」ではあったが、厚労省とともに対峙する日精協にも、もう少し将来のあるべきわが国の精神医療を導く気概をもってもらいたいなあと思うに至った体験でもあった。この病院があるべき将来の姿の一翼を担う方向に向かっていることを切に願うものである。 


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