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心と社会 No.148
巻頭言

こころをしっかり育てるということ

窪田暁子
中部学院大学名誉教授

 ソーシャルワーカーとして、心と健康、心と社会の問題に関心をもったのは、米国ミネソタ大学でソーシャルグループワークを学んで帰国、東京のある精神病院でフォークダンスのボランティアをさせて頂いたときであった。60年近く前、向精神薬が導入されたばかりの頃、アメリカでは精神身体医学の研究がもてはやされていた頃である。病棟主治医の池田由子先生からのお誘いであった。ミネソタ大学当時の師であったギセラ・コノプカは、児童相談所、少年鑑別所、男女少年院などにおけるグループワークを、1940年代に開拓し、矯正医学会会長も長く勤めた人物で、私にとっての生涯に亙る恩師である。たまたま昨年はコノプカの生誕100年で、記念のシンポジウムがミネソタ大学のコノプカ研究所で開催され、都市における青少年の心の健康の問題についての討論が行なわれたこともあって、コノプカが青少年の心を育てるというテーマに関わって考えていたことを整理する機会があったので、いまさらのように、昔のことを思い出した。

 精神保健領域において、ソーシャルワーカーは、主として生活のなかで、本人、家族、職場、近隣などに生じている不具合を手がかりとしてクライアントに向き合い、クライアント本人が、その持つ力を十分に発揮し、合理的かつ現実的な対処を学び取ることによって、心身の健康を自らとりもどすことを目標に、さまざまの援助を行なう職種である。今日の具体的な問題で云えば、さまざまの暴力、虐待、いじめの被害、あるいは集団暴力への組み込まれ、自殺、引きこもりなどの問題として顕在化する状況を個人、家族、コミュニティのレベルで取り扱い続ける。薬物依存、学校の中退、各種の家出なども多くの国々で、青少年の周囲に渦巻いている深刻な問題である。

 一方、SSTをふくむさまざまの家族療法、集団療法が、精神科のクリニックやデイサービスで行なわれ、各種自助集団活動の活用が理論的にも実践的にもすすめられているという状況は、1970年代以降まことにめざましいものがあり、そのなかで、ソーシャルワーカーという職種も、治療者チームに加わって、その活動の幅を広げている。チームの一員としての、あるいはコセラピストとしての参加に加えて、ソーシャルワーカーの中心的な貢献は、どこにあるか。活動場面の拡大とともに、あらためて確認したい。

 ソーシャルワーカーが焦点を合わせるべき領域は、個人、家族、地域の、生活者としての側面の重視、と言いたい。雇用や職業生活の状況、家族関係、近隣関係などの現状と、それが人びとの暮しにどういう影響を与えているかについての知識を持ち、それに関連して生じる問題に対する社会的サービスや援助の制度がどのような現状にあるかをめぐって、クライアントと共に考えながら、その人びとが自分なりの方向を見出してゆく力をつけるための、具体的な援助を考え、その人たちがさまざまの社会福祉制度、サービスとつながりながら、生活全体を充実させてゆくうえでの援助を提供するのである。

 そしてもう一つ、生活課題に関わる援助を通して、現在の問題に対処するだけでなく、さらにそれに加えて、若い頃十分学べなかった対人関係の技能や、福祉制度やサービスの効果的な利用方法を獲得し、問題対処における資源でもある人間関係のネットワーク、資格、生活習慣などを蓄積してゆくことそれ自体が、長い将来に亙っての本人の力になるものだという事実を認識しながら援助を展開することの重要性を指摘したい。

 同じことは、集団活動体験についても言える。デイサービスを始め、さまざまの集団関係、集団場面を用いた治療が行なわれるが、それらが特定の疾患や病状を軽減したり緩和したりするという側面と併せて、若いときに十分に獲得できなかった体験を、遅ればせながら補い、人格形成に本来必要だった栄養素を提供するという、得がたい内容を持っていることを、忘れてはならないのである。仲間集団は、特定の症状や疾患の治療という目標を越えて、人間としての成長に必須のものなのだという事実を、治療に関わるすべての職種が、心に刻んでおきたい、と考える。
言いかえればそれは、心の問題の治療や回復のための援助にあたって、より基本的な、「心を育てる」ということを、より積極的な面から考えたい、すべての子どもが権利として持つべきであるのに、地域や学校や家庭の事情などによって、不運にもよい集団体験を持つことのできなかった、あるいはむしろ害になるようなゆがんだ集団体験しか持つことのできなかった人々、そのために人格の形成に何らかの撓みや混乱を生じてしまっている青少年、人生の途上で、深い孤独にとらわれたり、荒涼とした世界しか見えなくなっている、そういう人々に、意味のある集団体験を提供することは、特定の疾患や症状の緩和ということを超えた積極的な人間回復の機会の提供でもあるということを、あらためて認識したいのである。楽しむべき、当然の権利としての遊び仲間との実りある集団体験を何らかの形で得ることができるように働くことは、すべての大人たちの役割である。人間が人間になってゆくために、友達、仲間というものがどれほど大切で、どれほど大きな力を持っているものかを信じて、幼い時からそれを意識的に育てたい。よい仲間、よい集団活動の体験をさせたい、そのためのよい環境とリーダーを作り出したい、広くそれらを思想的な基礎とする治療的な諸活動でありたい、ということでもある。特に10代のころに、その年齢にふさわしい、よい体験ができるだけの、友達づきあいと集団のなかでの自己表現、さらにその基盤となる技能を身につける機会を幼児期から提供したい。グループワークの講義のなかで、コノプカは語った。「多くの人が老人の孤独を言う。しかし、老人よりももっと深い孤独は若者のそれである。老人には思い出すことのできる過去がある。青年にはそれがない。そのことを忘れないように」と。ソーシャルワーカーとして私は思う。心に重い問題を抱える人びとが、その少年期に、恥や敗北の感情なしに怒りを表現する途を学ぶことの大切さを。刻々変化する自分達と大人たちとの関係、そこでの責任のもち方の学習が心をしなやかに、しっかりと強くする鍵であることを。治療集団を契機とした出発であってよい。ても、それに留まらない条件を作り出したい、と。幅広い人間的なつながりの温床であるところの集団活動を、若い日に体験できるように。

 

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