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心と社会 No.151
巻頭言

P. ドラッカーの言葉に学ぶ

小倉 清
クリニック おぐら

 私はたまたまPeter Drucker(1909〜2005)の「マネジメント―エッセンシャル版、上田惇生訳、ダイヤモンド社(1974)」を手にする機会があり、そこに彼のいくつかの言葉を見て、驚きかつ深い感銘をうけた。彼の言葉の多くは精神科臨床のセンスに近いように感じられたからである。以下に私の眼にとまった彼の言葉のいくつかを紹介したいが、それを述べる前にドラッカーについて小さな紹介をしておきたい。彼は1909年にオーストリアの首都ウィーンで生れた。父はオーストリア−ハンガリー帝国の貿易省高官、母は医師であった。この家にはフロイト、シュンペーター(経済学者)、トーマス・マンなどが客人としてよく集まったとのことである。彼は4歳の頃、父親がその友人たちと「これはハプスブルグ家の終わりというよりも、文明の終わりだ」と語り合っているのを聞いて「文明って何? それをしっかり分かろう」と思ったという。第一次世界大戦が終わった13歳の頃、労働者たちが、そのお祝いのためにパレードをしているのをみて「自分はパレードに参加する人間ではなく、その有様を傍らに立って観察し、それを人に伝える人間なのだ」と強く自覚したという。その後、彼は猛烈に読書を重ねるのだが、既存の学問、経済や政治の仕組みなど、どれにも満足を覚えず、一人独自の世界に没入してゆくようになったという。デカルト的な人間の理性への過信を危険視して思索を深め、人間にとっての本当の幸せは何なのかを模索しつづけたという。イギリス・スイス・ドイツをへて、どこでの生活にも飽きたらず、あてもなく28歳の時にアメリカに渡り、そこで彼独特の観察と関与の生活が始まったという。経済学者というよりも経営学の専門家ということらしいが、私にはその辺のことはよく分からない。10冊をこえる著書はいずれもベストセラーになり、「マネジメント」という本は3-4巻ほどの大著になって、素人にはとても手が及ばないほどのものらしいが、その縮少版であるエッセンシャル版はペーパーバックで読みやすく、日本でもベストセラーになったとのことである。『もし高校野球のマネジャーがドラッカーの「マネジメント」をよんだら』(略名「もしドラ」)はアニメにもマンガにもなって250万部もうれたとのことである。大の親日家で何回も来日し、日本の社会には絆がある、と高く評価していたとのことである。2005年に96歳で亡くなっている。今日では彼の言葉はむしろ哲学者のそれとして、もう経済人からは余り評価されなくなっていると、ある経済人から私はさとされた。

 そこで彼の言葉の数々なのだが、「見て、聞いて、全体をとらえる能力」が大切であるといい、「今、起っていることをしっかり観察すれば、おのずと次に起ることが見えてくるはずだという。また「経営科学の目的はあくまでも診断を助けることにある。経営科学は万能薬ではないことはもちろん、処方箋でもない。それは問題に対する洞察でなければならない。」という。

 「300年前、デカルトは『我思う、故に我あり』といった。今や我々はこれと同時に『我見ゆ、故に我あり』といわねばならぬ。デカルト以来、重点は論理的な分析におかれてきた。しかし今後は倫理的な分析と、知覚的な認識の均衡が不可欠である」という。「効果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と基礎的な方法を見につけているかどうかの問題である。」という。「物事を行う時に、絶えず基本と原則を使う。しかもそれを補助線として使うことが大切だ。」また彼は近代合理主義の限界を説き、「理論は現実に従う。我々にできることはすでに起ったことを体系化することだけである。」という。

 「自分の本分と定めた仕事に真剣にとりくめ。世の中で求められている役目を喜びをもって果たせ。それが社会全体のためになるのだ。」「本気で自分の仕事にとりくめば、その時、鳥肌が立つほどの気持ちになるはずだ。」という言葉は私にとっては、我が意を得たりとう所である。

 「組織の中で人はそれぞれの理想を抱きつつ、工夫を重ねながら仕事をしていく。その蓄積こそが文明だ。」という。文明だという所まではいかないまでも、仕事の真の成果だとはいえるだろうと思う。

 「歴史はヴィジョンをもつ一人一人の人間が作ってゆくものだ」、「人間の本当の幸せを考えない経済至上主義は結局は機能しない。」などは、その中の文字を一つ、別の言葉におきかえれば、どの世界でも通用するだろうと思う。

 「利益が重要ではないということではない。利益は企業や事業の目的ではなく、事業継続の条件である。利益は事業における意思決定の理由や原因や根拠ではなく、妥当性の尺度である。」というのはカッコいい言葉だと思うがいかがであろうか。開業医にとっても妥当性のある言葉になるのではなかろうか。

 「人間には社会的な絆が必要であり、人は位置づけを得るべきcommunityと、役割を得るべき社会とを必要とする。」というのは現在の日本のためにドラッカーがいって下さっているようにさえ思われる。80歳になって「ファルスタッフ」を作曲したヴェルディは「自分はいつもオペラに失敗してきた。だからこそ私にはもう一度挑戦する必要があった。」といったのをドラッカーは知って、「自分も失敗したとしても目標とヴィジョンをもって、自分の道を歩きつづけよう。」と述べているのである。

 以上にみてきたようにドラッカーの言葉は至極もっともでごく妥当なことをいい当てているように思えるのだが、ではなぜ経済人からむしろ忌避されるようになったのであろうか。ドラッカーは13歳の頃に、自分はパレードには参加せず、傍らに立って眺めていて、そして人に何かを伝える人間になろう、と考えたのであった。彼は生涯、経済活動自体には直接には関与せず、もっぱら観察者に徹したのではなかったか。だから彼は思索する人、哲学者とみなされることになったのではなかったろうか。

 彼は「絶対というものはこの世には存在しない。すべては変化してゆく。」とも述べている。これはポール・ヴァレリーの言葉「すべてのものは変化する。変化自身以外は。」を思い起こさせる。ヴァレリーは更に「過去の魅力はそれが過去であることである。」ともいう。ドラッカーはほんの数年前に亡くなられた人である。それでももう過去の人ということになるのであろうか。

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