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心と社会 No.161
巻頭言

認知症とともに生きる

松下 正明
東京大学名誉教授

 高齢社会のひとつの現象なのであろう。「認知症とともに生きる」という文言をしばしば見聞きするようになった。いやそれどころか、私自身、認知症の専門家として、この文言をタイトルにして講演したことがある。

 世界の先進諸国の多くは高齢社会に突入し、認知症対策が喫緊の事態となっているが、とりわけその最先端をいく英国での認知症施策のキャッチフレーズは、「Living well with dementia」であることはよく知られている。「認知症とともに生きる」、あるいは、「認知症とともに幸せに生きる」は、英国における認知症施策の理念である。

 「認知症とともに生きる」とは何を意味するのか。そのことをここで考えてみたい。

 まずは、「誰が」生きるのかという主語の問題であるが、その観点からは、当然のように、2つの解釈が成り立つ。

 「社会、あるいは一般の人たちが」、認知症の人たちと共存しながら生きていくことが大切であり、これからの時代は、そのような社会になることを前提に設計されなければならないという、社会の姿勢を問う解釈である。それを第一の解釈と仮に名づけておこう。

 もうひとつの解釈は、「認知症の人(さらにその家族を加えてもよい)が」、自らの認知症の状態を抱え、受け入れながら、幸せに生きていくことが大切であり、そのために、社会や一般の人たちに何を期待すればよいのかという、認知症の人の思いを主体とする意味である。第二の解釈とする。

 しかし、「認知症とともに生きる」というキャッチフレーズの意味するところはそれほど単純ではない。単に、誰が「生きる」のかといった主語の問題だけではない。突き詰めた言い方をすれば、認知症という状態をどのように理解するのかという基本的なものの考え方に至るからである。

 第一の解釈では、認知症をひとつの病気とみなし、その病気に罹患した人たちとの共存を図ることを第一義とする。この解釈であれば、認知症のみならず、他の病気であっても、このキャッチフレーズは当てはまる。がん、統合失調症など、身体や精神の諸疾患を「認知症」と入れ替えても、そのような病気に罹患した人たちとともに生活することの意味を強調していることになる。第一の解釈は、認知症を独立した病気とみる考え方と密接な関連がある。

 第二の解釈では、自らが認知症になった場合、その状態を抱えながら生きていくことの意味を考えることに重点がおかれるが、この場合、認知症をどう理解するのかによって、このキャッチフレーズの意味が大きく変わってくる。

 私は、年来、アルツハイマー型認知症は独立した、いわゆる疾患単位としての病気ではなく、通常の脳の老化現象が加齢相当以上に促進、高度化されてきた現象にしかすぎないということを主張してきた。その最大の根拠は、アルツハイマー型認知症の脳変化のメルクマールとなるアミロイドたんぱくの沈着(老人斑)、神経原線維変化、神経細胞変性・消失といういわゆる三大病変は、正常加齢脳にもみられるものであること、正常加齢者の脳にみられる三大病変は加齢とともに増加すること、その増加した状態はアルツハイマー型認知症と診断された人にみられる脳変化と連続性があること、という事実に基づく。ちなみに、アルツハイマー型認知症は脳の病気ではなく、脳の老化現象の促進された状態であるという意見は、日本では今なお私を含め少数派であるが、欧米、とくに米国では、すでに常識化されていると聞く。

 80代以降の認知症高齢者のほとんどはアルツハイマー型認知症であることに鑑みれば、認知症は脳の病気であるという見方はさまざまな誤解を招きかねないというのが私の年来の主張である。

 「認知症とともに生きる」の第二の解釈では、私は、上記の認知症観に立つ。つまり、「認知症の人」と特別視するのではなく、人は誰でも高齢になれば、認知症状態になる。したがって、これからの社会では、自分自身が認知症になるという前提で、よりよく生きていくにはどうすればよいのか、そのことが、「認知症とともに生きる」というキャッチフレーズに込められている思いであるとする。

 「認知症とともに生きる」には、第一の解釈も第二の解釈も同時に成り立つ。どちらの解釈が正しいのかという問題ではない。どちらの解釈に力点をおくのかということは問われてもよいが、私は、上記の第二の解釈を強調したい。

 「認知症とともに生きる」というキャッチフレーズをみて、認知症は私たち自分自身に生じうること、認知症を自らの問題意識として理解していくという認識を欠かしてはならないだろう。

 

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