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心と社会 No.180 2020
巻頭言

日韓関係の未来

西園 昌久
福岡大学名誉教授

 1972年に、韓国精神医学会が大邱で開催されたとき、私は日本人としては国交再開後初めて、その学会に招待され、講演の機会を与えられた。しかし、一部の韓国精神科医には日本人が登壇するなど許すことの出来ない衝撃的な出来事であったらしく、私の発表後、会場では私への誹謗と学会主催者への抗議や騒ぎが起きた。しかし、それ以来、かえって韓国精神科医の間に多くの知己を得ることができた。翌年、私は九州大学から福岡大学へ転じたが、やがて、世界保健機関(WHO)の精神保健とスタッフ教育の2つの部門のコンサルタントも務めることになり、その用務で再三、韓国に出かけた。その時同国の精神科医療や医学教育の実情を知ることができた。日本人が学ばなければならないことがあるのにも気づいた。しかし、そうした私の経験とは別に、日本人と韓国人とが関わる際に、ある種の緊張とわだかまりを感じることが避けられない違和感があるのも頭から離れなかった。考えてみると、豊臣秀吉の朝鮮侵略の際の加藤清正軍による「慶州の仏像に残る傷跡」「植民地時代の遺跡」などは現存している。日本人にとって「過去のこと」が韓国人にとっては「現在のこと」になりかねない。日本に帰化した知人の中には、植民地時代に、義務教育が初めて実現したという人もいるが、韓国では聞かない。

 ある時、韓国での会合の後、私はその会合の指導者に、「両国民が、もっと信頼し合える関係になるには、何が、必要と思われるか」と尋ねてみた。即座に、「両国の子供たちの息の長い交流を支援すること」という答えが返ってきた。韓国にも現状を憂えている方のおられるのに感銘を受けた。

 私は、1999年に福岡大学を定年退職し、福岡市内に小さな研究所を開設したが、その事業の一つとして、「日韓両国の若い精神科医のための合同研修会」を行うことを企画した。私は、1972年、初めての訪韓の折にソウルで知り合って以来、親しくしている閔秉根先生に、「私どもの友情と交流を若い世代に引継ぎ発展させることは、私どもの使命ではないでしょうか」と上記の合同研修会を提案した。因みに、閔先生は、いくつかの大学の精神科教授をされ、後に、蔚山大学校医学担当副学長を務めた方である。先生も乗り気で、わが国では、福間病院理事長佐々木勇之進先生、韓国では、啓耀精神医療財団理事長李奎恒先生の協力を得て、上記の合同研修会を発足させることができた。

 2000年以来、福岡とソウル、ときには慶州、釜山で日韓両国交互に、初期は4日間、7年前から、この研修会を経験した両国の若い精神科医たちが自ら進んで主催することになり、実質2日間の日程で開催され今日に至っている。日韓両国の関係が冷え切り、一般の人びとの交流が激減した現在の状況でも、昨年9月、第20回の記念すべき合同研修会をソウル特別市の中央大学病院で、日本側31名、韓国側45名の参加を得て開催することができた。考えてみれば、この20年間に、日韓両国の若い精神科医が延千数百人、参加したことになる。若い人たちが、お互いに相談して合同研修会を計画し、実施することは両国の若い精神科医の交流と結束を強化することになり、研修会のみならず、日ごろの個人的な交流をも促すことになっている。

 「合同研修会」の内容であるが、ある回から主要テーマが設けられた。それを羅列すると、「グロバリゼーションの中での日韓精神医学の将来」「精神医学と世界の危機」「21世紀のうつ病の多発に何をいかに備えるか」「児童・思春期精神医学─若い精神科医の課題」「今日の若い精神科医が新羅文化から学ぶもの」「精神療法・家族療法」「精神医学における生物-心理-社会的モデルとは何か」「老年精神医学」「精神医学の科学性と文化性」などである。各回とも、それらの主要テーマに造詣の深い教授の講義が準備されている。さらに、参加者の研究発表、ポスターセッションが準備されている。圧巻は、両国の参加者からなされる症例報告である。私の理解するところ、この症例報告に日韓両国の現在の卒後専門医教育体制、その背景をなす文化性が歴然と現れているように思える。韓国参加者からの症例報告では、アメリカ精神医学会の5軸診断法(臨床症状、人格障害、知的障害、身体的問題、心理社会的環境問題)が忠実になされ、報告されるのに対して、わが国の参加者の症例報告では、殆どはじめの2軸(臨床症状、人格障害)にとどまっている。それは、彼我の卒後教育の差によるものであろう。朝鮮戦争後、多くの韓国精神科医がアメリカに留学しアメリカ精神医学を学んだ。大学精神医学教室もアメリカ式に複数教授制で、卒後教育も徹底していることの現れであろう。わが国もまた、戦後、アメリカの影響をつよく受けているのであるが、韓国の場合とは違いがあるように思える。そして、それはアメリカ文化に対してだけではないように思える。韓国の場合、外国思想が一旦、取入れられると韓国式に純化され、徹底化される。そのよい例が、かつての科挙、両ヤン班バン制度であり、儒教、なかでも朱子学への傾倒であろう。他方、わが国の外国思想や文化の影響は制度の変化まではなりがたい。さらに、この合同研修会で学んだことは、韓国人の心性を表すものとして、「ジョン(情)」と「ハン(恨)」が強調されたことである。

 この私どもの合同研修会の体験が「日韓関係の未来」を考えるのに参考になることを願っている。次回の合同研修会は本年(令和2年)9月10日(木)から12日(土)、福岡で開催されることになっているが、その実現のためにも新型コロナウイルス感染禍が速やかにおさまることを願っている。

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