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こころの健康シリーズZ 21世紀のメンタルへルス

No.4 スウェーデンでの子育て体験

大谷地病院 精神科 岸川淳子


5.スウェーデン社会に触れて

 せっかくの機会なので私も何か仕事をしてスウェーデン社会を体験してみたいと考え保育園のようなシステムの利用を考えましたが、すぐに無理だとわかりました。育休制度がしっかりと確立されているために1歳未満の子供を預ける制度がなかったのです。まずは1歳までは子供と楽しむことにしました。日中次女を連れて買い物や散歩に出かけ周囲を見回してみると一人でベビーカーを押す男性とすれ違うことが日常で、平日にも公園にパパ友らしき集団がいることに気が付きました。子供を遊ばせている父親が何人か集まって父親同士で会話している姿は非常に新鮮でした。色々聞いてみると、“子供とこうやって遊んでいるのは楽しいよ”といった話で、卑屈な印象はなくごく自然に子供と遊んでいる様子でした。平日の昼間に父親が子供を抱っこ帯に入れてあやしながら、別の子供を砂場で遊ばせている姿は日本では想像できなかった光景でした。

 スウェーデンの産休育休は現在子供が12歳になるまでに男女合わせて480日あり、その内の3か月は父親、母親それぞれ固有の休みで相手に譲ることが出来ません。父親が自分で消化しないとそのまま消滅してしまうため、父親も最低3か月育児休暇を取らないと損をしてしまう仕組みです。以前はパートナーに譲ることが可能で妻に譲る父親がほとんどであったため、1995年には父親しか使えない育休として30日、後に60日となり2015年から90日に増やされました。その間の給料は収入に応じて両親保険によって支払われ学生や無職であっても生活の心配がなく、給料の10%上乗せしてくれる企業もあります。さらにパートナーには平日10日間、育休の他に出産前後休みがあります。授乳の関係でまず一年は女性が休み、その後は男性が休む、以後二人で分け合うスタイルが多いようです。公務員の友人の話では男女とも100%育休を取り、復帰しているとのことでした。現場の医師達も当然の権利として男性も女性も育休を取得します。研究所で働く日本人女性に“ここは子育てに関しては天国みたいなところよ。あなたも働いてみた方が絶対いいわよ!”と背中を押され、幸いにも次女が1歳になった時に研究に従事する機会を頂きました。無給ですが制度上は常勤の職員とみなされ長女、次女のプレスクールを無料で夕方5時までお願いすることが出来ました。スウェーデンでは原則大学まで公立の学校は無料で進学出来、塾も無いため教育にはお金がかかりません。税金が高いものの、しっかりと還元されているのです。


Dalahast(ダーラナへスト):幸せを運んでくれるスウェーデンのシンボル、木彫りの馬。

 仕事を開始してみると、スウェーデンでは労働者の権利が非常に大切にされる社会であることを実感しました。男女同権は当たり前で男性が家事を請け負うことは当然といった雰囲気があり、実際私の男性上司は自らの手料理でもてなしてくださいました。労働者は週に40時間以上仕事してはいけない決まりで医師でも同様です。男性医師も“子供を迎えに行かなきゃ”と定時に帰宅し、手術後の患者さんの具合が悪くなっても現場に戻ることはありません。自分の体調が悪い時には仕事場に連絡を入れて休みを取ればそれで問題はありません。多くの日本人の感覚であれば“休みの間迷惑をかけてしまって申し訳ありません”と業務を請け負ってくれた人に頭を下げますが、スウェーデンではその感覚はありません。仕事の割り振りは管理者の当然の責任であって労働者同士の問題ではないからです。実際私も子供の熱が出た時にやりくりをして仕事場に行きましたが、“えっつ、子供が調子悪いの?それじゃあ、なぜ君はここにいるのだね?早く帰りなさい”と言われ、噂は本当だった!?と拍子抜けし、以後あっさりと休みをとることにしました。病児看護の休暇をとる場合にも給料は保障されており、男性も女性と同程度に休んでいる印象でした。医師で外来や検査の予定があっても休むのが当然で、職場に迷惑をかける感覚はない様子です。さらに一般的には夏季休暇は5週間あり、その間お金が必要だからと、特別手当を支給する制度もあるようで至れり尽くせりと感じました。産休に関しても医師も育休の権利を行使するのが普通で、その間の心配をする必要はないそうです。職場に迷惑をかけるといった意識を持つ必要がなく、給料が支給され、男性も女性も子育てに参加出来るとは、日本人にとっては現実感が持てません。スウェーデンでも制度が出来た当初は同様に男性が育児休暇を取得する割合は低かったのですが、制度の工夫により現在は育休を取得することが普通となり、教育熱心な家庭ほど育休の取得率が高くなっています。“マタニティハラスメント”“パタニティハラスメント”は誰に確認しても聞いたことが無く、万一マタニティハラスメントなどあろうものならセクシャルハラスメント同様に大変な事態になりそうです。スウェーデンでは労働者の権利が重要視されている分、サービスを受ける側にとっては不便であり、行き届いていないと感じる部分が日本人の感覚では多々あります。医療は無料ですが気軽に医者に受診できるシステムではなく、まず地域センターに電話をして症状を説明して指示を仰ぎます。子供の発熱程度では、“様子を見てください”と言われ受診は出来ないことが周囲では多かったです。次女が体調を崩し、数日発熱が続き心配になって相談をした時には“あなたは医師に会いたいですか?”と聞かれ、“勿論です”と返答して無事に受診が出来ました。完全に予約制で医師の診察は30分程度で患者1人とゆったりした印象でした。しかし検査は本当に必要最小限のことのみで、“3日後にこちらから電話で経過を聞きます”と言われ、実際に電話がかかってきて簡単な確認後、終了となりました。妊娠出産に関しては定期的に助産師のチェックを受けるのみで、正常分娩であれば医師に一度も会うことなく出産の翌日には退院となって終了します。当直や休日の体制は日本からすると手薄な印象ではありますが、そういうものと国民は思っている様子です。

6.終わりに

 スウェーデンでは日本のような細かなサービスや、お客様主体の行き届いたサービスは期待出来ません。しかしながら労働者の権利や福祉が重視されており、少なくとも“妊娠すると職場に迷惑をかける”“仕事上不利益をこうむる”“子供の具合が悪くても親が休めない”といった心配がない社会と感じました。実際に低下傾向であったスウェーデンの出生率は1995年から回復傾向に転じています。男性にも育児の機会があることで家族への理解が深まるだけでなく、育児を主体的に楽しむことが出来ます。私自身、想像力に乏しく子育てをするまで気付かなかったことが多くありました。スウェーデンでの生活で価値観の違う社会、文化に触れたことは自らの固定観念に気が付き、いかに“世間の常識”とされることに思考が縛られやすいのか実感する機会となりました。残業が常態化し、派遣の増加等労働環境が悪化している日本の社会で子育ての環境を変えていくのは容易でありませんが、日本の常識では頭から無理と思われがちなことが、違う価値観に基づいて実現している社会が実際にあることに勇気付けられます。

謝辞:この原稿の作成にあたっては多くの方々にご協力を頂きました。
カロリンスカ大学病院消化器内科:一箭珠貴先生、ウプサラ大学病院外科:山本慎治先生、中村香奈子さん、高井淑子さん、鈴木内科医院:鈴木岳・晃子先生、情報を提供して下さった全ての方々に感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
写真撮影:中村香奈子(1〜4)岸川 淳子(ダーラナへスト)

1.はじめに/2.日本での妊娠、出産、育児
3.ストックホルムに到着して/4.プレスクール(Forskola)での生活
5.スウェーデン社会に触れて/6.終わりに

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