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こころの健康シリーズ[ 国際化の進展とメンタルヘルス

No.3 留学生の増加と大学教職員のメンタルヘルス

東京大学大学院教育学研究科 佐々木司

3.大学と教職員への影響

 ここからは筆者の個人的経験をベースに、留学生の増加が大学教員の毎日にどのような影響を及ぼしているかについてお話したい。

1)英語の授業は結構シンドイ

 留学生の中には日本語のほとんどできない学生がそれなりにいる。大学も国際的競争の中にいて、日本の学生が海外の大学に留学するように、出来るだけ多くの海外の優秀な学生にこちらの大学に来てほしいのだから、日本語の出来る留学生ばかり集める訳にはいかないし当然のことである。自分の授業を取った学生の中に日本語のできない留学生がいる場合には、当然ながら外国語(基本的に英語)で授業を行うことになる。東京大学の場合、留学生の殆どは大学院生なので、主に大学院の授業でこのようなことが生ずる。

 なお授業のシラバス(各授業の内容や授業方法についての学生への案内)を大学のweb上に書き込む際には、使用する言語が日本語か英語か(その両方か)を記載する欄があって、もし日本語だけで授業をしたい場合にはそのように書いておけば、日本語の出来ない留学生が授業に参加することはない。しかし自分の授業が全部「日本語のみ」では学内での格好がつきにくいので、少し無理をしてでも見栄を張って、1つくらいは「日本語も英語も可」としておくことになる。勿論、英語でも何とか出来るのでは、と自分で思える科目を選ぶ。なお英語に自信のある教員は、複数の授業を「日本語も英語も可」にしても良い。学部・研究科によっては、大学院の授業は原則英語です、というところもある。しかし筆者のように英語圏での生活が留学中の数年に限られ、しかも帰国して20年、30年も経っているような教員には、それはいささかきついので、多少の無理を覚悟で1科目くらいをそうしておくという訳である。

 実際筆者の場合は、journal club形式の大学院の授業を1科目だけ「日本語も英語も可」にしている。Journal clubというのは、参加者が毎回1.2人、その会のテーマにあった論文を自分で選んで紹介していく集まり(授業)のことである。筆者が「日本語も英語も可」にしている授業では、毎週担当の学生1.2名に、青年期の精神保健をテーマにした論文(当然ながら英語;でないと留学生は理解できない)をPubMedなどのデータベースを使って1つずつ選ばせ、パワーポイントで紹介させている。勿論パワーポイントは英語で準備させる。これは元が英語の論文なので、日本人学生にとってもさほどの負担でないように見える。

 パワーポイントを使った論文紹介は30分くらいで終わるが、大変なのはそれからである。そのあとは、その論文に関する批判・質疑応答を授業終了時刻まで続けることになる。最初はパワーポイントでのプレゼンで明確でなかったことを質問し担当学生に答えさせる。次いで論文の方法論上の問題点などを指摘して、解説したり学生に考えさせたりする。それなりの国際誌に掲載されている論文でも、方法論にかなり問題がある場合や、記述が練られていないもの、不十分なものも少なくないのでこれを行う。これらが一段落したら、学生同士の質疑応答へと進む。合わせて1時間ほどかかる。

 ちなみに大学院の授業やゼミではこの様な議論を行うことは良くあることで、それ自体には慣れている。厳しいのは、これをずっと英語で続けることである。論理の複雑な議論を外国語で考え表現するのは、母国語で行うことより数倍集中力が必要である。これを1時間続けるとなると、消耗も大きい。体調の良い時はそれでも何とかなるが、疲れている日や調子が悪い日はなかなか頭が回らず、思うように発言をまとめられないこともしばしばである。

2)日本人学生も大変

 それでも教員の側は給料をもらってやっている仕事なので何とか頑張るのだが、もっと大変なのは日本人学生である。日本人の学生も昔よりは英語が達者になったように思うが、中には苦手な学生もいる。教員の方は、曲がりなりにも英語で論文の「読み書き」まではしているので、最終手段としての「筆談」、あるいは黒板やホワイトボードに書いて説明するという手をとれば何とかなる。しかし学生の方は、英語の文献は読んではいても、さすがに「英語で論文を書く」経験までは欠しく、それもままならない者もいる。そういう学生の場合は、学生がたった10数人の授業であっても、毎回100分の授業時間中ずっと黙ったまま、ということもある。

 中には「日本語で質問しても良いですか?」と聞いてくる日本人学生もいる。ダメとも言えないので、教員の方で学生の発言を英語に直して紹介する。授業をとっている学生の殆どが日本人で、留学生は数人しかいない場合でも、「英語でも可の授業」としている以上、これは教員にとって必須の仕事となる。

 なお留学生が英語で喋ったことを日本語に直すサービスまではしない。英語で複雑な説明はできなくとも、「英語の聞き取りくらいは出来る」というのが学生として大学に在籍していることの暗黙の前提だからである(大学院生の場合、特に)。それが実際どうであるかは確認しない。聞き取れていない学生が多くて、教員が一々日本語に直して説明しなくてはいけないようでは、授業にならないからである。ただ個々の学生の英語力をつぶさに考えてみると、実際には余り聞き取れていない学生も稀ではないように思う。

 実を言えば留学生の中には、教員の方でも十分聞き取れない英語を喋る学生もいる。とても速く喋ったり、あるいは訛りが強くて聞き取りにくい場合もあるからだ。このうち速く喋って聞き取りにくいかどうかは、留学生の出身地で大分異なる印象がある。留学生には英語のnative speakerもいれば、そうでない学生もいるが、native speakerだから速く喋る訳ではない。例えばカナダのように育った環境で移民の割合が高く、話す相手がnative speakerでないことを前提に英語を話すことが習慣となっている、あるいは慣れている学生では、割とゆっくりとクリアに喋ってくれることが多い様に思う(筆者の留学先がカナダだったので、カナダ英語に慣れているせいもあるかも知れないが)。一方、元々 native speakerでなくても、高校や大学の段階で英語の国に留学した学生の英語は、とても速く聴き取りにくい場合がある。自分も外国語としての英語を喋っているのだから、誰でも自分の英語くらいは聞き取れるだろう(これくらいの英語で聞き取れないということはないだろう)という意識なのかも知れない。最近は中国などアジアの留学生でも、このような経歴の学生は増えている。また中国の留学生は、10年前に比べて英語のレベルが非常に高くなっている。中国は日本の大学に留学している学生の最大の出身国であり、その流暢な英語についていけないことは、もしかしたら多くの大学教員が経験していることかも知れない。

 留学生の英語が良く聞き取れない場合、教員は日本人学生の分も代表して「よく聞き取れなかったので、もう少しゆっくり喋ってもらえますか」と留学生にお願いする。大抵は少しゆっくり話すようになってくれるのだが、喋っているうちに段々元のスピードに戻ってしまうことも多く、そうなるとお手上げである。

3)留学生の苦労

 日本人側の苦労ばかり書いてきたが、メンタルヘルスの面でもその他の面でも一番大変なのは留学生自身かも知れない。生活環境も習慣も異なる慣れない国での生活は当然ながら大変である。それに加えて、学業や研究の課題達成という負荷も留学生にはかかっているので、学生によっては相当な心理的負担を抱えている可能性はある。

 留学生に、所属する研究室や教員はどうか聞いてみると、大抵「先生も学生も皆さん親切で優しい」という答えが返ってくる。特に留学生活が始まって間もない頃は一様にこの答えが返ってくる。問題は半年、一年とたってからである。日本人の学生でも同じだが、この頃になると、学生によっては研究や課題が上手く進まず焦りと不安を抱えるようになる。そうなると教員や研究室の先輩・仲間との関係もギクシャクしやすくなる。また文章の字面は同じことであっても、日本人と外国人では受け止めるニュアンスが大分異なることがある。「『大丈夫、焦らなくて良い』などと先生は言っていたのでそのつもりだったのに、途中から急に『これでは学位は取れない』と言われるようになった。言うことが違う」等である。教員にしてみれば、あまり厳しいことを言わないように気を使っていたのが裏目に出たというところだろう。英語を喋れたとしても、相手の国のニュアンスまで理解するのは難しく、致し方ないところはあるが、微妙なニュアンスが伝えられない以上、始めから伝えるべきことはストレートに伝えることが必要なのだろう。

 なお同じ留学生と言っても、出身国によってメンタルの問題は大分異なる。学内に同じ国出身の学生、母国語の通じる学生が沢山いる場合は、分からないことや困ったことを相談する相手を見つけやすい。一方それがいないと孤立しやすく、その分メンタルの問題も深刻化しやすい。その意味では英語圏からの学生や、中国など日本への留学生が沢山いる国からの学生は有利である。反対に同じ国からの留学生が少ない場合はより多くの注意が必要である。

 大学側のケア体制整備も大切である。メンタルケアの体制が重要なのは言うまでもないが、生活上・学業上の困りごと・迷いごとを相談できる部署を整備しておく必要がある。なお以前は、中国などアジア出身の学生は、偏見等の問題のせいかメンタルの相談を躊躇する傾向が強かったが、最近はこれが大分軽減してきたように感ずる。先日も、若い人の間では、うつ病等での精神科受診に比較的抵抗がなくなってきているという話を、研究室の中国人留学生から聞く機会があった。親の世代とは大分感覚が異なってきているという話だった。大学側がケア体制を整備すれば、留学生の方も活用してくれる可能性が高くなっていると考えられる。

4.終わりに

 留学生の増加に伴う大学の教職員の苦労、また留学生自身の苦労について、自分の経験をもとに書いた。留学生を増やす以上、留学生へのケアと対応をしっかりできる体制を、大学は整えていく必要があるだろう。

文部科学省(2019)「外国人留学生在籍状況調査」および「日本人の海外留学者数」等

 

1.はじめに/2.我が国における留学生の増加
3.大学と教職員への影響/4.終わりに

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