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こころの健康シリーズ[ 国際化の進展とメンタルヘルス

No.4 多文化共生社会の出産と子育て

明治学院大学心理学部 西園マーハ文

アジア人の女性の出産と子育ての例

Aさん アジア系の30代の女性

 出身国では高いレベルの教育を受け、専門的な仕事をしていた。夫、第1子と共に来日。政治的な理由で国を離れたが、日本は難民申請が難しいため観光ビザで来日した。夫は飲食店で働き始め、仕事をしながら日本語を覚えていった。本人は子育てに忙しく、日本語を覚える機会は無かった。

 来日後に第2子を出産した。夫が同国人から情報を集め、公立病院で出産した。出産には特に問題は無かった。乳児健診の際、保健師は、Aさんの表情が非常に暗く、子どもにも関心が向いていない様子であることに気付いた。同行した夫の通訳で対話したところ、抑うつ状態であることは間違いないように思われた。支援していきたいことを伝えたが、その後、夫は、ビザの不備を理由に突然収監された。Aさんは困っていたが、夫が収監されたために難民支援センターの支援が受けられることになり、面談には通訳が付くようになった。改めて、通訳を交えて面談したところ、不眠、食欲不振、将来への悲観、家事能力の低下など、うつ病の症状が認められた。治療の必要性を説明し、通訳が同行して定期的に精神科を受診することにした。薬物療法が開始され、徐々に症状は改善した。その頃、第1子の言葉の遅れやコミュニケーションの問題が浮上してきた。しかし、幼児相談分の通訳の時間を確保できず、学生ボランティアが子どもの世話を手伝うことになった。保健師は、通訳と共に定期的に家庭訪問し、受診にも時々同行した。

 夫は数か月後、帰宅が許され、本人の精神状態はさらに改善した。Aさんは、第1子の幼稚園入園後は日本語教室に通うようになった。第1子は、最近、日本語を急速に覚え、その後は特にコミュニケーションの問題なく、元気に通園している。

外国人の母親のメンタルヘルス問題の背景

 この事例から読み取れることは何だろうか。一つは、元々元気な人でも、産後の体調の変化やストレスでうつ病になり得るという日本人にも通じる経過である。Aさんは、来日により、離職、夫の離職、言語の困難、外国での不安的な身分での生活などがあり、ここに出産による負担が加わっている。そしてその後、夫が収監されたり、子どもが言葉を話さないなどの問題も加わった。日本人より外国人の方が常にストレスが大きいとは言い切れず、また、元々の国で政治的に大きなストレス下にあった場合は、いつ逮捕されるかという心配をしなくて良い生活は非常に嬉しいという場合もある。しかし、一般的に言って、外国人の妊産婦には、日本人以上にさまざまなストレスが重なり、困った時に援助を求める段階でもハードルが高い場合が多い。上記の質問紙の得点分布を新生児訪問時と乳児健診で比較すると、日本人においては、新生児訪問から乳児健診までの約3か月で、全体の点数が低い方に移動する傾向が見られる。しかし、外国人の場合は、この傾向が見られないとした報告もある4)。外国人の場合、子育てに「慣れてくる」というプロセスが進みにくい場合が多いと言えるだろう。

 Aさんについては、精神科で抗うつ剤が処方されたことは、病状の改善に役に立った。「生活上のストレスで不調になったのに、なぜカウンセリングじゃなくて薬なんですか」と、日本人の産後うつ病の方にもよく聞かれるが、生活上のストレスに起因しても、「うつ病」の症状が出ている場合は、薬物療法は効果を持つ。Aさんの場合、もし仮に母語を話すカウンセラーのカウンセリングを受ける機会があったとしても、薬物療法を勧めるべき症状であった。言葉が通じないから薬、と短絡的に考えるのは望ましくないが、薬物療法の効果が期待できる場合は、保険等の手続きを整え、薬物療法を行うのも一つの選択肢になるだろう。

 Aさんには、子どもの発達の問題も見られた。親のメンタルヘルスは子どもに影響を及ぼすが、この関係の解釈には慎重であるべきである。日本人が対象の場合も、子どもだけを見て「お母さんが話しかけないと子どもの言葉が出ない。頑張って話しかけて!」というような指導がなされていることがあるが、親がうつ病の場合は、このような叱咤激励は病状を悪くする。親の援助と子どもへの援助の連携は、対象が日本人であっても援助側の積極的な協力が必要だが、言葉の壁がある場合は、通訳等さらなる人的資源を要する。Aさんの場合は、親のうつ病の改善に伴って発達は回復したが、このような反応性でない発達障害の場合も当然ある。通訳の確保は、今後大きな課題となるだろう。

 今回は、Aさんがうつ病を回復して日本語を修得し、第1子が幼稚園で適応したのを確認して援助は一旦終了している。もちろんこれですべての問題が解決したわけではなく、この家族にとっては、Aさん夫婦の母語や文化を子どもにどのように伝えていくかといった課題も生じてくるだろう。

 Aさんについては、病状が回復した後に、実は同胞の一人が日本で生活していることが語られた。Aさんは、同胞も忙しいのを知っていて連絡を取るのを遠慮したようだが、「早い段階で電話等で話せれば少し気持ちが和らいだのではないか」、「今回のうつ病は、SOSを出さない本人の性格も関連しているのでは」と、担当保健師は後のミーティングで話した。

 「外国人」「日本に来て大変な人」というカテゴリーで一律に語られがちな人々も、援助が進むうちに本人の性格や家族の様子がわかってくる。こうなった時に援助者は、やっと状況が「わかった」という実感が持てるようになる。もし万一Aさんが今後またうつ状態を呈することがあったとしたら、今度は、薬物療法だけでなく、困ったらSOSを出して良いこと、協力的だが仕事で留守がちな夫が家にいない時間はどう過ごすか、日本で何を楽しみに生活したらよいかなどを話題にすることができるだろう。

 

多文化共生社会の子育てのさまざまな側面

はじめに/産後メンタルヘルス事業と外国人女性の出産
アジア人の女性の出産と子育ての例/外国人の母親のメンタルヘルス問題の背景
多文化共生社会の子育てのさまざまな側面

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