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心と社会 No.159
巻頭言

こころを理解するということ
─永山則夫の精神鑑定をめぐって─

石川義博
石川クリニック

 人のこころを理解するということは大変難しい。人の脳の構造と機能は非常に複雑である上に、こころは時と場所と相手によって千変万化するからである。まして、人間に反感や敵意をもつ者のこころを理解することは、至難の技といってよいであろう。しかし、全く不可能というわけではない。では、どうすれば可能になるのか。その方法を、連続4人射殺を犯した永山則夫(以下、則夫と略す)の精神鑑定を通じて述べてみたい。

 精神鑑定では、犯行時の動機や精神状態の解明が求められる。そのためには、則夫との間に人間関係を築くことが必須となる。築くにはどうしたらよいか。それこそが問題なのである。

 則夫の場合、筆者は精神鑑定を容易には引き受けなかった。既に、司法精神医学の大家による鑑定が行われており、凶悪な射殺魔といわれた則夫に内心恐れをなしていたからでもある。何度も断わったが、則夫が「自分が犯した重大犯罪の悲惨が二度と繰り返されることがないようにと反省し、自分の心を開いた供述に基づく鑑定を受けたい」といっていると伝えられた。その言葉を聞いて初めて筆者は重い腰をあげる気になった。覚悟を決めて精神鑑定を引き受けることにした。則夫の約束が本当ならば、彼と人間関係を築き、彼の犯罪に至る心理や行動を解明する可能性があると考えたからである。

 面接の方法としては、土居健郎先生から学んだ「精神分析的精神療法」を用いた。どの精神療法を適用する際も、相手に話してもらう時は、顔を見て真剣に聴くこと、時間をかけることなどは基本中の基本である。面接の最初に、筆者は「あなたのペースでいいから、小さいころ一番初めに覚えていることから話して下さい」と声をかけた。

 則夫の答えを以下に記す。「んとね……、帽子岩の近くの海岸、白いね、なんていうか、ほら貝かな、それが浜辺にいっぱいあったよ。それで、セツ姉さんが一緒にいて、あれ、帽子岩って記憶しているんだけど、帽子岩のあたりが海なんだ。それで貝を僕が海に投げてたみたい。セツ姉さんにおんぶしてもらったこと覚えている。あとね、あれは網走湖かな、その近くでね、海老が大根についててね、それをとって遊んだりして。そこにセツ姉さん、いたよ。5歳くらい、おふくろの記憶、全然ないんだ。親父の記憶もないんだ。セツ姉さんしか、女の人……」。断片的ではあるが、一所懸命話してくれた。この最初の発言は極めて重要である。それゆえ、則夫から話されたままの形で記録したのである。特に、4回も話されたセツ姉は、則夫の人生のキーパーソンであることが判明した。

 その後も、則夫には自由に喋ってもらった。次々に思い出が広がり、幼時から小学校時代に至った。そこで筆者は不思議なことに気がついた。ずっと不登校を続けていた則夫が、小学5年生の時に限って欠席日数がわずか6日なのである。そのわけを尋ねたが、なぜか則夫は答えてくれず話をそらした。これは抵抗であり、何か事情が隠されているなと直感したが、敢えて問いつめることはせず、話してくれるまで待つことにした。4度目に水を向けた時、則夫はようやくセツ姉が帰って来て勉強をみてくれてやる気が出た事実を話してくれた。

 しかし、それほど良い話の筈なのになぜ口を噤んだのか、新たな疑問が湧いた。謎は容易に明かされなかった。筆者はひたすら待った。何度も何度も躊躇したあげくに話してくれた内容は驚くべきことであった。それによると、ある日学校から帰宅した則夫は、セツ姉が近所の独身男と情交し、虚脱している光景を見てしまったという。家族の中で唯一自分を可愛がってくれ、則夫が母のように慕っていたセツ姉は、その瞬間、穢らわしい、反吐を吐きそうになる存在に変わってしまった。則夫は大好きだったセツ姉に対してさえ、不信感と絶望感を抱き、深刻な抑うつに陥った。この出来事は、以後の則夫の人格の発達や人間関係のあり方に大きな障害をもたらす要因となった。則夫のこの苦しい胸中を知って、筆者は初めて則夫が小学5年時の好成績を話し辛かった気持ちが深く分かったように思えた。

 その後、則夫は憑き物が落ちたように、人生体験や犯行動機などを一層詳しく話してくれるようになった。東京や京都での射殺事件は、警備員から逃れたい一心からの衝動的犯行であった。函館の事件は、殺人だけでなく強盗まで犯し、動機が不可解とされていた。これは、則夫が追いつめられ自死を覚悟して次兄に告白したにもかかわらず、彼が「どうせ死ぬなら熱海でいいじゃないか」と突き放した仕打ちに対する「当てつけ」からの犯行であった。名古屋の事件も、幼時から則夫を無視し冷淡だった三兄への当てつけからの犯行であったという。家族内での差別や虐待が則夫にいかに深刻な心的外傷を与えたか、自死か殺人かという切端つまった行動に走らせてしまったかを、明白に物語っている。

 以上、永山則夫の精神鑑定を例にあげ、どのようにして人のこころを理解していくかを概説してきた。人には、こころを分かってもらいたい、こころを分かりあいたいという思いが本能的に存在する。分かりあえた時の気持ちの良さ、清々しさは万人に共通する感情である。則夫もセツ姉との心の葛藤等を話し、分かってもらえたと分かった時、転機が生まれた。則夫は、こころを開いた話しあいを重ねる中で自分の人生を省りみ、なぜ犯罪を犯したのかを洞察するに至った。同時に、被害者や家族への贖罪の心も芽生えた。ついには、怨み憎んでいた母をも赦せる心境に至ったのである。

 永山則夫の精神鑑定を通じての全過程は、そのまま、こころの治療を目指す精神科臨床に適用されるといえよう。筆者は、そのように考えて、日々、精神療法中心の診療を営んでいる。

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