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心と社会 No.163
巻頭言

スピリチュアルな視点

窪寺 俊之
聖学院大学

スピリチュアルな健康への関心

 1998年の世界保健機関(WHO)の常任理事会は健康定義を改訂してスピリチュアルな健康を加えることを決定した。残念ながら、翌年の総会にはこの議案は提案されなかった。もしも、健康の定義にスピリチュアルな健康が加えられたならば、世界の医療が随分変わったと想像できる。総会にこの議案が載せられなかった理由は、参加国のいろいろの国内事情があったからと聞く。現在、世界の医療界、健康科学界ではスピリチュアルな健康の重要性を認めていて、医療者とチャプレン(病院牧師)との協働作業がなされている。その背景には病気に苦しむ人たちがより安心して生活できるようにとの願いが働いている。スピリチュアルな健康とは何かについては未だ議論は決着していない。しかし、WHOの専門委員会の報告書804号には、次のように書かれている。「患者は、霊的な面での体験を尊重され、これについての話に耳を傾けて聞いてもらえると期待する権利をもっている」1)。一人一人のスピリチュアリティを尊重されることが患者の権利であるとの文言は傾聴に値する。患者の権利となれば最大の注意を払わなくてはならない。たとえ、この報告書には強制力がないとしても、将来、この方向で進むことが予想される。

新しい問題意識

 WHOの現在の健康の定義には社会的、心理的健康にも触れているが、スピリチュアルな健康が加えられると、スピリチュアルとは何かと真剣に議論され、単に宗教との関係だけではなく哲学、心理学、芸術、習慣の関係も検討される。そして、精神医学やソーシャルワークの分野でも、心の病いをもつ人たちへの幅広い関わり方が模索されるに違いない。スピリチュアルな健康という概念を入れることでその思考枠が広がり、新しい治療法や医療のシステムが生まれる切っ掛けになる。スピリチュアルな視点から人間のいのちをみると、今までの治療中心の医療から予防や健康維持のための自発的健康管理までも広がり、朝のラジオ体操や地域で開かれているヨガ教室や水泳教室まで関わり、増大する医療費の削減にもつながる。
 スピリチュアルな視点からみると健康(身体的)は自分の持ち物という考えは消える。むしろ、身体、心、家族も預かりものとの意識が生まれて来る。そこから健康であることの感謝や健康管理への責任という考え方が生まれてくる。健康管理を重視するから日常生活の改善や、地域との絆を含めた人間の生活の質や、生き甲斐をもてる社会形成という意識も芽生えてくる。

人間破壊の現実

 今日、私たちの周りで起きている問題をみると、豊かな生活や単なる社会適応の問題以上の深さをもっていると考えざるを得ない。例えば、自死の問題もこどもたちの引きこもりの問題も、青少年の凶悪事件の問題の背後には、自分中心的考え方や人との絆が切られた社会構造がみえる。今日の社会では自分中心で自己絶対化が起きて、怖れ敬うものを失ってしまい、欲望の暴走がまかり通っている。そこからは自他の破壊しか起こってこない。毎日の通勤途中で起きる人身事故も殺人などの凶悪事件も生き方が絡む問題で、そこにはいのちの捉え方や他人への信頼など社会の在り方が深く関わっている。

スピリチュアルな視点がもたらすもの

 スピリチュアルな視点は、いのちを超越的(神仏)視点から見直す思考法である。それは宗教的視点に近い。スピリチュアルな視点は宗教的視点よりも広くて、自然や文化を含む捉え方である。スピリチュアルなケアとは、個人の心の内にある超越的な存在(神仏、いのちの根源)との関わりをサポートするケアである。残念なことに、今日、既存の宗教は人々の心から離れた存在になっている。宗教には、それぞれの教理、教義、儀式(礼拝、参拝、修行など)がある。現代人はそれを古くさいと感じ、宗教集団に入ることを自由を失うことだと感じ、宗教に入ることに警戒している。スピリチュアルな健康は自分の存在を超越的存在との関係で取られることである。人間を超えた存在の意思、計画、目的の中で生かされていると認識して生きることである。スピリチュアリティを意識すると、自分の人生に意味、目的がみえてくる。自分が愛されているとの感覚が目覚めて日々の生活の営みが生き生きしてくる。そして、人生の「個人の物語」と「スピリチュアルな物語」があると認識できる。身体的死で「自分の物語」が終わっても、「スピリチュアルな物語」の中で自分が生かされていると感じられる。生かされているので謙遜さが生まれてくる。

むすび

 スピリチュアルケアは、すべての人がもつ目にみえないもの(神仏や超越的存在)との関係を活性化させることで、その人らしいいのちの実現を支援することである。それは個人の認識法を変え、目にみえないものを信じる能力を養うことでもある。同時にコミュニティや社会の絆の回復も必要になる。あるいは自然破壊ではなく自然を育て自然と共に生きることも必要になる。自然の豊かさに気付くことで心は癒され、元気を取り戻すことになる。スピリチュアルな思考は特別難しいことではない。心のスイッチを自己中心的思考からスピリチュアルな思考に変えることである。スイッチを切り替えた瞬間に自分が抱えている重荷が降りて、軽くなり、更には向こうから吹く風に心は洗われ、清々しくなってくる。心のスイッチを切り替えることでスピリチュアルな癒しが起きてくる。

 

引用文献
1)世界保健機関編,武田文和訳:WHO専門委員会報告書 第804号.がんの痛みからの解放とパリアティブ・ケアーがん患者の生命へのよき支援のために.p49,金原出版,1993.

 

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