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心と社会 No.165
巻頭言

心と社会のレジリエンス

八木剛平
翠星ヒーリングセンター

医学思想の歴史―病因学/回復学とその接点

 病を防ぎ病を治すために、これまで医学が採ってきた方策は大きく分けて二つあった。

 ひとつは原因を発見して取り除く「病因学」(原因療法)の系譜である。19世紀の終わりから20世紀前半にかけて、病原微生物による感染症とビタミン・ホルモン欠乏症の克服によって、病気にはそれぞれ特定の原因と特異的な治療があるとする「特定病因説」が確立した<脚注1>。しかし20世紀後半から死因の上位を占めるようになった癌と動脈硬化性疾患(心筋梗塞・脳卒中)、自己免疫疾患や精神疾患(いわゆる内因性疾患)に対して特定病因説は通用しなくなった。そこでこれらの病気の少なくとも一部は、複数の危険因子(リスクファクター)の相互作用の結果とみる「確率論的病因説」が提出され、いま生活習慣病(とくに動脈硬化性疾患)での成果が期待されている。

 もうひとつは──軽い風邪まで含めれば──大多数の病気は「自然に治る」という日常的な事実に着目し、回復の要因やメカニズムを解明して治療に役立てようとする「回復学」である。古代西洋のヒポクラテス医学は病気の自然治癒「現象」を発見し、ガレノスは自然治癒「力」(とくに排出力)とこれを強化する治療(瀉血・浣腸・吐下剤などの多用)を体系化した。16〜17世紀に近代医学の勃興(人体機械論)とともに自然治癒(力)学説は後退したが、17〜18世紀に英・独・伊・仏でヒポクラテス主義者が輩出して、とくに発熱論の中で復活する。20世紀には特定病因説の大成功によって医学の主流からはずれたが、日本では養生論1)と補完代替医療(CAM)のなかで生きている。

 これら二つの流れの合流点に位置づけられるのが、病を防ぎ、「時に病を造り」、病を治すシステム(メカニズム)の発見であり、それが19世紀末のフロイドによる心的防衛論(defense、coping)と、20世紀前半に自然治癒思想から派生した生体防御論(ホメオスタシス・ストレス学説)である。この医学思想は20世紀の80〜90年代に、逆境のなかで生育する小児や強大なストレス因に曝された成人の抵抗力に注目した研究のなかで浮上し、個体(心身)と環境(社会)の相互作用を発病(防御)と回復の双方から見直す視点を提供することになった。すなわち、最悪の逆境に直面しても、半数以上の子供はそれに屈服することがなく、また米国人の50〜60%は一生のうちで、かなり外傷的な出来事に晒されるが、そのうちで心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症するのは8〜20%であることが注目されたのである。

レジリエンス(仏;レジリアンス)

 このような動向のなかで浮上してきた「レジリエンス(resilience)」とは、第1に、日常用語としては「逆境を跳ね返して生き抜く力」を意味し、最近のTVでは「逆境力」として紹介されている。東日本大震災の直後に、米国の「トモダチ作戦」の一環として、オバマ大統領がTVで被災者に激励のメッセージを送った際には、うしろの横断幕に“RESILIENCE” の文字が見えたそうである。地震・津波などの大災害におけるPTSDの防止には、地域社会のレジリエンス(住民間の絆や結束力)が大きな役割を果たすことも知られている。

 第2に筆者は、臨床医学用語としては「病を防ぎ病を治す心身の働き(疾病抵抗力)」(自然治癒力の現代医学版)と定義し、疫学的・生物学的研究用語としては「疾病抵抗因子(発病防御因子と回復促進因子)の総称」とした。ここでは「レジリエンス」が、19世紀の欧米で、「外力による物体の歪み(ストレス)に対する反発力・復元力」を意味する物理学用語であったことを指摘したい。ストレスとレジリエンスは一心同体の現象<脚注2>であり、心身のストレス状態には常にレジリエンス活動が内在している。

精神科におけるレジリエンス

 レジリエンスの用語は、まず1980年代の英語圏で、逆境を跳ね返して成人する子供たちについて、精神科的障害に対する防御・抵抗因子の意味で用いられた。1990年代にはフランス語圏に導入されて精神分析学的・社会学的研究が活発化し、他方では心的外傷をこうむった成人において、外傷後ストレス障害(PTSD)の発症に対する心理学的反発力として注目された。21世紀に入ってWHO(2004)は「精神障害の予防と精神保健の向上」が、resilience(回復力、立ちなおり)の強化によって可能であるとした。

 とくに注目されるのは、近年の総説(2004)2)で、それまでの心理社会的な研究が生物・脳科学的研究に向かって発展し、ストレス関連障害(PTSDとうつ病)においてレジリエンスに関わる11種の物質群と数か所の脳部位が候補として想定されたことである。また統合失調症について筆者は、もっぱら発病因子として研究されてきたドーパミン系をレジリエンスの視点から見直し、そのアップ・ダウン活動を、初期統合失調症(中安)では発病防御因子、発病後の急性期には回復促進因子とみなすべきことを主張した。

 ところで日本の精神医学界では2008年に、雑誌の特集と学会のシンポジウムでレジリエンスの定義・概念が論じられ、「レジリアンス」のタイトルをもつ専門書の出版(2009,2012,2014)3)がこれに続いた。2012年には英米の有名科学雑誌“Nature”と“Science”で取り上げられ、また身体医学の分野でも注目され始めた。これから「レジリエンス」が「ストレス」と同様に日常語としても精神保健医療福祉の分野で普及・定着し、レジリエンス研究がストレス研究と相携えて、病因学と回復学、心理社会的治療と生物学的治療の接点として発展して行くことを期待する。

 <脚注1>精神科では4大精神病のうち、進行麻痺の病因が脳内スピロヘータの発見によって、癲癇の病態が脳波による異常放電の検出によって解明され、残りの統合失調症と躁うつ病も、いずれは病因学(原因療法)による克服が期待されていた。また神経症の精神分析療法も、フロイド自身が「病因になっているすべての無意識的なものを意識的なものに置き換える」、という公式に要約し、治療は「それを(外科医術のように)とりはらい、遠ざけようとする」と述べており、明らかに「原因療法」を志向していた。これに対してショック療法(現在の電撃療法はそのひとつ)は、偶発的な発熱・痙攣・昏睡後の精神病の自然治癒という臨床観察に基づいて、これを人工的に再現(模倣)する試み(回復学)から生まれた。

 <脚注2>空気を入れて膨らませた丸い風船を思い浮かべていただきたい。風船に指を突っ込んで凹んだ状態がストレス(外力による物体の歪み)であるが、指には反発力が働いていて、指を離すと風船の形は元に戻る。この復元力・回復力がレジリエンスである。

参考文献

 1)神田橋條治:改訂・精神科養生のコツ.岩崎学術出版社,東京,2009.

 2)Charney DS:Psychobiological Mechanisms of Resilience and Vulnerability:Imprications for Successful Adaptation to Extreme Stress. Am J Psychiatry 161;195〜216, 2004.

 3)八木剛平,渡邊衡一郎(編著):「レジリアンス――症候学・脳科学・治療学」金原出版,東京,2014.

 

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