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心と社会 No.172
巻頭言

生きられた時間を求めて

村瀬嘉代子
(財)日本心理研修センター、大正大学

 私たちは今、人類史上最大の物質的利便性を享受できるようになっていると言えよう(戦禍や経済格差、差別など生きる上での大きな課題はあるが)。一見、幸福度が高まったかに見える。しかし、他方では存在の不安が漠然と忍び寄っている。人が生きていく上でのさまざまな問題の底には経済原理が働いていることに気付く。機械文明の進歩は、ある種の熟練技術と見做された人が行う仕事の機能をある部分で越える可能性が次第に明らかになりつつある……。さらに、目前に迫った高齢化社会のもたらす課題もさまざまな視点から強調されている。ここで予期不安に駆られるばかりではなく、着手できるところから対応をしていくことが肝要であろう。

 私は児童青年期とその家族の方々を対象として仕事をしてきたが、必要なのに関心をよせかかわる人が少ないからと求められ、聴覚障害に加えて精神的不具合を併せ持つ重複聴覚障害者の入所者が半数を占める施設にかかわるようになって久しい。なかでも近年は高齢の方々に会うことを求められている(心理面接などというのはおこがましいけれど)。自殺企図、うつ状態、さまざまな激しい行動化、行き先がない強い退所希望などを主訴として、程度の違いはあるが多くの方が認知症を発症されている。適切な就学の機会がなかったり、諸々の不安が強く自らコミュニケーションを拒否している方々などが対象である。

 最初は途方にくれた。手話、筆談を用いられない人が殆んどである。手振りと絵や図を工夫して用い、何とかコミュニケーションの緒をつくろうと試みた。まず出会って挨拶するのに名刺代わりとして、私と相手の名前を書き入れた似顔絵(その人と分かるように今の面影は留めながら若い時はかくもハンサムはたまた麗人であったろうと年齢を引き下げる、所望により出来た絵は差し上げた)を描いて渡した。驚いたことに、各自が自室の壁にそれを貼ったり、机の引き出しに入れて時々じっと眺めておられ、これを契機に机の中を整頓されていると職員の方々から伺った。そう、人は誰しも「他ならないこの私」という自信、誇りを持つこと、それは生きる力の根幹なのだ。発達障害や認知症についての理解、関心が近年広まったことはよいとして、症状や疾患名でひとくくりして認知症の〇〇さん、などと言うことはいかがなものであろう。その人とのコミュニケーションを持つ契機や、その人の内に潜んでいる可能性(たとえささやかであれ)に気付かなくなってしまいがちである。この施設で会うことを依頼された方々とは何れも目下の困りごとと氏名、年齢、入所までの大まかな生活状態くらいをもとに、やり取りが始まる。会った印象、言葉遣い、身だしなみなど、出会いの一瞬に見え、聞こえ、空気感とでも言うところから相手の背景、来し方や関心事などを想像することにした。

 A子さん、現実見当識はかなり不確かだと施設からの説明。脈絡ない話の中に〇〇大師という名刹の名前が出てきた。すかさず「私もお参りしたことある」と叫ぶと、A子さんの表情は生彩に溢れ、まとまりある話になった。曰く:進学を諦め〇〇大師へ住み込み女中になった。給金は全部親に渡した。辛抱、辛抱の暮らしだったよ……、でもお経を聴いているとお経はよいことを言っていた。掃除しながら聴いていたよ、そうお経を聞くことは勉強になった! 「働きながら勉強されていたのですね……」と私は素直に感心し、拍手した。屈託した様子の時でも、私と会うと「〇〇大師で勉強した」と笑顔になられる。

 B氏は補聴器使用を拒み、人とのコミュニケーションを求めず、壁に向かって終日就床されていた。全体の雰囲気から潜在能力はかなりある人のように感じられた。庭に咲いた木瓜の花を一輪アルミホイルに活け、「春です。枯れたら指でベッド脇のゴミ箱にどうぞ」と大声でそっと差し出した。B氏は一瞬驚き、急にこちらを向いて大声で話し始められた。「田舎で薬もなかった幼児の頃、化膿した指の膿を母親が木瓜のとげで出してくれた……。母親は働き者で優しかった……」。補聴器を取り出して装用。対話モードに。工業学校在学中、赤紙が来て出征した。さまざまな苦労話。堰を切ったよう……。そして自らを慰めるような口調になり「でも外国暮らしもしたし……」留学や海外駐在勤務経験とは思えない……。「あの、シベリヤ抑留でご苦労された?」「そうだ、余りにも酷い経験で帰還して妻にも話してこなかった。悲惨で辛すぎた……」二年半にわたる強制労働のお話……。

 B氏は右半身麻痺で文字が書けず、食事も左手で難儀なご様子であった。ふと伺った戦争・抑留体験をレポート用紙に纏めて差し上げた。B氏はそれを夫人や親類の縁者に見せ、皆から優しく労われたと安らいだ表情になられた。帰還後、鉄道会社で車両修理をされた由で、自室に蒸気機関車の大きな写真を飾り、車両修理のあれこれを活き活きと話されるのが日課になった。周囲とも打ち解けるようになられた。

 聴覚障害を持つC子さんは父親が亡くなり、本当のひとりぼっちになったとひところは表情も虚ろで沈んでおられたが、ふと昼食の感想をたずねたのを契機に家では食事支度を引き受け、家族や客に喜ばれたことなどを想い出され、これを契機に元は子どもの時からこまめだったと言われ、施設でも食卓テーブルの片付けなどを手伝われるようになった。昨今、体力は下がられたが車イスに乗って、夕刻、施設の長い廊下のカーテンを閉めて廻る役割をされている。黄昏時、帰途につく私に向かい「大丈夫、元気!」と手話で話され、迎えのタクシーに「早く、早く」と手招きして気を揉んで下さる……。今という時を精一杯生きておられる。

 この施設もご多分に漏れず人手不足だが、入所者一人一人に応じたかかわりを心懸け、応答がおぼつかない人にも細やかに気配りし、意向をなるべく汲もうとされている。現実と折り合いをつけながら、入所者の喜怒哀楽を汲み取ろうとされている施設の姿勢が入所者が今の生を享受するのを支えていると思われる。

 「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発された長谷川和夫先生が自ら認知症を発病されたと、「ありのままの僕」と題したインタビュー記事を平成17年11月16日の読売新聞に載せられた。先生とはある団体の会合で何時も席順がお隣りだったので、深い学識と暖かいユーモアのあるお話しをいろいろ聞かせて頂いた。先生の御文章にあった「認知症の人にもこころはある」という言葉をこころに確かに留めたい。どの人にもその人らしい自らを恃める何かがある、自らを恃んで生きられる時を誰しもが持てるようでありたい。

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