ご挨拶日本精神衛生会とはご入会のご案内資料室本会の主な刊行物リンク集行事予定
当会刊行物販売のご案内

心と社会 No.106 32巻4号
巻頭言

精神障害者の犯罪をめぐる報道と精神科医の役割

 東京都立松沢病院  松下 正明

 本年6月8日におきた大阪府池田市の痛ましい児童殺傷事件は今なお記憶に生々しい。数多くの小学生の児童たちが何の理由もなくつぎつぎと殺傷されていく状況は想像するだに恐ろしく、遺族の想いや殺された児童たちの無念さに思いをいたすたびに、心が痛む。おそらくは、その悲惨な思い出はいつまでもわれわれの胸中から去らないであろう。

 それとともに、この事件はむごいというだけでなく、日本の精神医療の根幹を揺るがすきっかけになってきている。

 最初の報道に接したとき以来、この事件が精神障害者に絡むようなことでなければよいがと念じ続けたものであるが、しかし私ども精神医療の専門家の意に反して、当初より精神障害者による犯行と断定され、精神障害者危険論、野放し論から始まって、触法精神障害者の処遇を法的に規制する論議、司法精神病棟の設置論、あげくは精神障害者の犯罪を防止する予防拘禁法的な発想など、政治、国会、司法、あるいは厚労省などの行政の場を中心とし、さらにはそれに追い立てられるような形での精神医学の分野で、議論は百花斉放の観を呈してきた。しかし、このことについては、私自身多くのことを語りたいという意を抑えて、ここでは一二のことを言及しておくに留める。それは、犯罪を犯した精神障害者を如何に拘禁するのか、精神障害者の犯罪をどのようにして防止すればいいのかという、もっぱら司法や行政レベルでの手続き論的議論に終始しており、そのような精神障害者をどのように治療するのかという治療論がほとんどなされていないという奇妙な事態についてである。とともに、これまでの議論をみていると、司法、行政の担当者はやむをえないとしても、大学教授とか何かの団体の代表という肩書のもとに公的な議論に参加している精神医学、精神医療関係者の多くがほとんど触法精神障害者の治療や看護の現場の状況を知らないという悲劇である。国の御用学者や医師はいてもよいとは思うものの、おそらく、ここで議論されるような事態は机上の空論では収まりがつかないことは強調されてよい。

 さて、この巻頭言で述べようと思うことは池田市の小学生殺傷事件のことではない。

 論じたいのは、マスコミの報道における精神科医の役割についてである。この事態は精神保健運動にとってきわめて大きな問題と考えるからである。

 私のみならず多くの良心的な精神科医が苦々しく思っていることであるが、池田市の事件も含めて、精神障害者によると思われるさまざまな犯罪行為の報道に関して、ほぼ常連のように現れてはなにがしかのコメントをする精神科医、あるいは常連でなくても何かマスコミに頼まれると唯々諾々と応じる精神科医がいる。内容はともあれ、そのような彼らの言動自体をここで批判しておきたい。

 もちろん、マスコミに名前が売れることはその人の名誉欲を満たすことでもあり、その種の人生観についてとやかく言うつもりはないが、彼らの言動が、精神医学や精神医療とは何か、精神障害者に対する偏見にどう立ち向かっていかねばならないのか、といった一般への啓蒙活動にとって如何に障害となっていることか、そのことは是非ともここで指摘しておかねばならない。常識的な一般市民は、精神科医なんてそんな程度のものなんですかという批判を隠さない。コメントをする医師は気がついていないかもしれないが、彼らの言動への一般市民の批判には鋭いものがある。

 もっとも重要なことは、そしてこれこそは医の倫理そのものともいえるが、私たち精神科医は、自らが診察をしていない人に対して、精神医学的なことをコメントする資格も権利も有しないという大原則を守ることである。もちろん、自ら診察をしている患者についてはプライバシーのこともあって余計に何ごとも述べることはできないが、上記の大原則は精神科医である以上遵守しなければならないというのは誰が教えてくれるものでもなく、医師であれば当然なこととして身につけているものである。さらに、「その人のことは知らないが、一般論的にいえば、・・・」というコメントも許されることではない。このように言うことによって上記の大原則を守っていると勘違いしているむきがあるが、「その人」の記事に絡んで一般論を述べるということは、結局はその人のことを語っているのに等しいことを知らねばならない。

 これはまた、精神科医の質を問われている問題でもある。会ったこともない人の精神症状や診断のことを何かとコメントすることに疑問を感じない精神科医は、おそらく、自らの日常の診療場面でも、患者の話を聞かない、患者の姿が見えない、お粗末な臨床医であるにちがいない。一般の人たちが、マスコミに踊らされる精神科医のコメントをみて、知りもしない人のことをもっともらしくしゃべる精神科医を非難するのは、その底に、そのようなお粗末な臨床医の質を問い、かつそのことによって日本の精神科医の多くがそのような医師であると思い始めていることを忘れてはなるまい。

 マスコミはこれからも何か精神障害者に絡んだ事件があるたびに、さまざまな場面で働いている精神科医にコメントを求めてくるに違いない。その際、われわれ精神科医は、個別的なコメントをすることが如何に反医療的であるかを説明して、それを断固として拒否する姿勢を持たねばならない。

 もし、現今のようなマスコミ報道における一部の精神科医の非常識的な言動が続けば、日本の精神医療はいつかは国民にそっぽをむかれ、信頼されなくなっていくにちがいない。われわれ精神医療関係者はそのような医師の存在を許さないことをこれからは強く主張していく必要がある。

ご挨拶 | 日本精神衛生会とは | ご入会の案内 | 資料室 | 本会の主な刊行物 | リンク集 | 行事予定