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心と社会 No.116 35巻2号
巻頭言

 精神衛生と道徳

土居 健郎
(聖路加国際病院 顧問)

 標題にかかげた「精神衛生」も「道徳」もこの頃それほどきかない言葉である。「精神衛生」の方は、私自身調べたわけではないが、恐らく明治か大正の時代に、mental hygieneの訳として作られたものであろう。このhygieneの方は16世紀頃英語に入ってきたとのことで、健康の技術、つまり健康を保つための術を意味していたらしい。私はこの訳語としてわれわれの先人が衛生という語を造語したのは立派なものだと思うが、この語は昭和の終り頃から公式には使われなくなった。ちょうど、私が精神衛生研究所の所長をしている時であったが、ある日厚生省から、今後、精神衛生を精神保健と呼ぶことになったので、精神衛生研究所の名称も精神保健研究所に変更したい、と言ってきた。私はそれに抵抗した。保健は保険と同音で、精神保健か生命保険か紛らわしくなる。精神衛生という立派な言葉があるのにそれを廃することはないだろうというのが私の反対の理由だったが、所詮一個人の反対が通るわけはない。その後、厚生省の指示通り、精神衛生研究所は精神保健研究所に、また精神衛生法は精神保健法となって、今日に至っているのである。

 ところで名称変更という事実はしばしばわれわれの身辺で起きることだ。例えば昔の日本人は成人すると幼少時の名前をやめて新しい名前を名乗ったが、このことが示すように名称変更はそこになにがしか変化が起きていることを意味すると考えねばならない。したがって、精神衛生を精神保健に言い換えたのもそこに何か変化が起きたためと考えねばならぬが、この変化の正体が必ずしも明らかではない。それは恐らく時代の変化といわれるものと関係があるように思われるが、その時代の変化とはどういうことなのかと問うてみると、それがまたはっきりとはしない。しかし現代がこれまでと違うという意識が今日極めて強いということは疑えまい。そしてもしかすると、違うという意識が強いということこそ、今日という時代を特色づけるものかもしれないのである。

 もちろんそうであっても究極的にはどこがどう違うかが問題なのだが、どうも私にはこの点は近年やたらと日本語の中に英語ないしその他の外国語がカタカナで入ってきた事実と関係があるような気がしてならない。というのは、精神保健の新語も本当はメンタル・ヘルスと言いたかったところを遠慮して精神保健と言ったのではなかったのか。なぜなら欧米で近年はmental hygieneというよりもメンタル・ヘルスという方が一般的になっているように見えるからである。とすると、日本はかつてそうであったように今回も欧米の新傾向に追随しただけのことになるが、ではこの新傾向の本質は何かというと、その点を明らかにする上で標題にかかげた道徳の視点が問題となるのである。つまり精神衛生ないしmental hygieneという言葉が通用していた時代はこれと道徳がどこかでつながっていたのではないか。しかしメンタル・ヘルスという場合にはこれを道徳から、はっきり切りはなし、むしろ身体の健康に準ずるものとしてそれを思いえがいているのではなかろうか。実際、これを裏書きするように、現代は道徳について人々はあまり語らなくなった。もっともカタカナ英語でモラルという言葉を聞くことはあるが、しかしその場合はせいぜい教訓というぐらいの意味であって、本来この語が持っている善悪に関係するという重い意味は稀薄になっているのである。

 ここで私はあらためて問題を提出しよう。本当に心の健康は道徳と無関係なのであろうか。近年、人格障害あるいはうつと診断される患者がふえている事実や児童虐待の頻発は両者に何らかの関係があることを示しているのではないか。なお従来しばしば用いられた「精神衛生がいい」「精神衛生がわるい」という言い方はこの辺の事情を微妙に表現していたような気がする。精神保健ではこうはいえないのだ。私は以下に自分の臨床経験からそのことを暗示するようにみえる話を紹介してみよう。それぞれ幻聴妄想状態でかつて分裂病と診断され入院治療を受けた二人の患者がいる。一人は今は50歳の男、いま一人は60歳を越えた女、どちらも未婚、私はこの二人をもう三十年あまり世話している。男は若干症状があるが、女はほとんどない。それでも彼らはひと月かふた月に一回は再診に訪れる。さて私の言いたい点は次のことである。男の方は毎日のようにアル中の父親の面倒を見て老いた母親を助けている。女はこの十数年の間にあいついで病死した両親の看病を最後まで続けた。彼らに同胞はいるが、実際に両親の面倒を見たのは自ら精神科の患者となっている彼らだけである。しかも彼らは愚痴一つこぼしはしない。実に淡々とやっている。それで私はほとほと感心しているのだが、昔風な言い方をすれば、彼らは現代のいわゆる健康な人達がやろうともしない、あるいはやりたくてもやれない親孝行をしていることになるのではなかろうか。

 精神衛生と道徳はどこかで通底している。それは一方通行の因果関係ではなさそうだ。この関係を私は公式化できないが、しかしこの両者は絶対無関係ではあり得ないし、そのことに思いを致すことが意味があると私は考えているのである。


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