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心と社会 No.118 35巻4号
巻頭言

人間の社会的行動と道徳性

古畑 和孝
( 帝京大学文学部 )

 目を覆うばかりの、信じがたい、凶悪かつ残忍な少年犯罪が生起するようになった。しかもその低年齢化の傾向は否定しがたい。そのためもあってか、いじめ・校内暴力などは、今もなお日常的に、陰湿な仕方で行われていても、一般に報道されることがはるかに少なくなった。だが、ごく最近にも、その増加傾向が報じられもした。教育問題に強い関心を抱く社会心理学徒の私は、それを憂いつつ、自らの辿ってきた道との関連で、いくばくかの示唆を試みたい。

 私が研究者を志してから、何時しか既に半世紀を優に越えてしまった。遅々たる歩みではあったとしても。予定されていた法学部ではなく、草創ほどない、人間の心理学を謳う教育心理学科への進学を決断したとき、初めて出遭ったのが双生児研究だった。折りから精神医学内村祐之教授を研究代表者とする総合研究「双生児研究」が進行しつつあった。付属学校は「実験学校」と位置づけられ、生徒の3分の1は双生児であった。幼稚園以来の友人に一卵性双生児がいたことも直接の契機ともなって(なお現在も交友関係にあるが)、人間形成における遺伝と環境の役割を解明する宝庫とも言われる双生児研究に夢中になって取り組んだ。わが国の「人類遺伝学会」の創設者でもあった父の勧めに反した進路を選択した者として、通常の人類遺伝学の研究手法でないものをこそ模索した。遺伝素質同一といわれる一卵性双生児対偶者間においても見られる、表面的行動のわずかな差異は何に起因するのか。こうして、学生・院生なりに、家庭におけるしつけや、それに伴って生じる役割、役割期待など、心理学的ないし教育的環境に、目が開かれることともなった。

 双生児の相互依存関係に関する行動観察がひとつの契機となって、人間の社会的行動の重要な基盤でもある協同と競争に関心が拡がった。すると人間の相互作用・社会的影響過程を研究する社会心理学をどうしても、より体系的に深く学びたくなる。その強い願いは、フルブライトによる留学によって実現することとなり、それは結局丸4年間に及んだ。こうして、心理学的環境に関心を抱いた教育心理学出身の私は、教育問題に強い関心を抱く社会心理学徒として誕生したのだった。

 社会心理学が繰り返し明らかにしてきたのは、人間の社会的行動における環境的・状況的要因の果たす力の大きさである。ここには、それを端的に示す研究を一例だけ挙げてみよう。私にとっては何十年来の知己でもある、高名な社会心理学者ジンバルドー教授による有名な「刑務所実験」がある。実験に応募したのは、知的で、情緒的にも安定している優秀な学生たちだった。彼らはランダム(無作為)に囚人役か看守役かのいずれかに割り当てられた。スタンフォード大学地下の心理学実験室に設けられた「模擬刑務所」に、囚人役の学生は本物のパロ・アルト市警のパトカーの協力の下、投獄された。すると看守役は服務規程をはるかに超えて、残忍・過酷な振舞・対処をするようになった。囚人役は監禁の体験によって、神経症的症状を呈したり、脱獄しようとしたりするに到った。当初2週間の予定の実験を6日間で打ち切らざるを得なくなった。大多数の被験者は、実際に囚人か看守になりきってしまい、役割演技と自己の区別が出来なくなってしまったからだった。行動・思考・感情の殆どすべての側面に劇的な変化が起こり、一時的にもせよ自己概念が脅威に曝され、人間性の最も醜い卑しい病理学的側面が顕わになったのであった。

 この劇的な研究は何を意味するか。人はよく残忍な性格だから、看守向きだなどと、見做しがちである。しかし、人間は環境的要因によって、その行動はこうも大きく左右されることがあり得ること、異常な行動をする人は、必ずしも異常な性格だからだなどと決め付けることが出来ないことを如実に示すものであろう。なお現在はこの種の研究は、研究における倫理の問題の故に、行い得なくなっていることを付言する。

 少年犯罪の低年齢化は深刻である。どう対処したらよいか。私は同志とともに多年にわたって、道徳性の研究にも従事してきた。道徳性というとき、多くの人があげる研究に、ピアジェやコールバーグによる認知的発達の観点からのものがある。周知の事実である。ところが、われわれが苦心の挙句に開発してきたHEARTによるならば、道徳性の2側面:外的行動傾向と内的形成水準のいずれにおいても、ピアジェらとは異なって、道徳性の指標は学年が進むにつれて却って低下するという深刻な結果が繰り返し得られている。それは子どもの実態に対応するものでもあろう。その妥当性もいろいろな仕方で検証されてきている。ただし「望みなきに非ず」でもある。道徳教育に熱心な学校では、その値が高く、“荒れた”学校では低いこと、また種々の指標で適応的な個人は高く、不適応な個人は低いことも明らかにされているからである。

 いじめ・校内暴力・少年非行の厳しい今、それをただ個人の内的・性格的特異性などにだけ帰するのではなく、状況的・環境的要因にも十分に目配りを怠らずに適切に対処し、また道徳性の高揚に努めたい。それが、教育問題に深い関心を抱く社会心理学徒の私の心からの願いなのである。


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