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心と社会 No.150
巻頭言

話して、離し、放す

山根 寛
京都大学大学院医学研究科

どうにもならない
思いを話す

どうにもならないと思えても
話して 離し 聴いてもらう
それだけで
すこし
こころの重荷が軽くなる

話して 離し
聴いてもらって
どうにもならない思いが放れる

話すことが
どうにもならない思いを
離して 放す

病む苦しみとその病いをわかってもらえない苦しみ。その重なる苦しみを生きる人たち。その人たちと共に過ごし、生活や就労の支援に携わっている者がいる。その共生(とも いき)の歩みの中、見えない病いをどう理解するか、どう伝えればこの苦しみをわかってもらえるのか、共生(ともいき)の相互の悩みを話す場が生まれて12年。
そこには、病いを生きる人、その生活や就労を支援する人、家族、ボランティア、グループホームや作業所のスタッフ、病院の職員、その他いろいろな人が、口伝えで月に一度集まってくるようになった。「拾円塾」と呼ばれるその場の誕生と経過をめぐって、共に生きるために話すということの意味を考えてみる。

はじまり
心の病いの苦しみを何とかしたいと、いくつもの精神科病院を巡り、「日本中どこにも、私の病気を治してくれる病院はない。治らないのなら、苦しくてもいいから、病院の外で、町の中で、一度でいいから普通の暮らしがしてみたい」、そう言いながら、絶望と苦しみの中で命を絶った女性がいた。その悩みを受け止めきれなかった、その気持ちに応えきれなかったと、一人の姉が、妹と同じ心の病いを生きる人たちの生活や活動の場作りに取り組んだ。その思いに賛同した仲間が集まった。まったくの普通の人たちの集まりである。病いのことはよくわからないが、せめてみんなで楽しく食事くらいはと「こころいっぱいご飯を食べよう会」を立ち上げ、作業ができる共同住居を手探りで始めた。
「ゆいまある」と名付けられた活動、「これって病気なの? 性格なの?」「言ってもええんやろか?」「どうしたらいいの?」と、共生(とも いき)の生活はわからないことや戸惑うことの連続だった。そして誰もわからないのなら、一緒に悩みを話し、どうすればいいか学ぼう、と月に一度集まるようになった。それが「拾円塾」の始まり。

「拾円塾」の由来
普通の人たちが普通の生活感で心の病いを生きる人たちの援助にあたるため、病気に起因するもの、しないものも含めて「これは何? どうしたらいいの? わからない」が多発した。悩みの大半は、病気や障害の理解、対応、何をどこまで援助するか、などいずれも共通の課題であった。それならとみんなで学ぼうと生まれた「ゆいまある」の仲間たちの集まりであったが、いつの間にか、同じような悩みを持つ人や家族、ボランティア、地域で生活する病いを生きる人たちが、集まるようになった。
そんな自然発生的な集まりであったため、人が増えても参加者名簿も作らず出席もとらないまま今に至っている。参加費をとるなど思いもしなかった。ただ大学の教室を使用するのに、活動状況の年次報告に参加者数が必要であったため、気持ちのけじめを含めて参加費として1回10円集めることになった。集まった10円の数が、その年1年間の延べ参加人数になる。人数を把握し年次報告を済ませた後は、その額を2倍にして翌年の「拾円塾」で希望する人に渡している。何に使おうとその人のかってというのが、「拾円塾」の名称の由来。

共に生きる場
病気や障害の有無を超えて、共に安心して暮らせる場をつくるということは、そんなに大層なことではない。気負わず、それぞれができることからすればいい。生活や就労の支援の場は、支援する側とされる側という構造が生まれる。そうした構造をしっかり作る支援も必要であるが、それぞれに違いがあることを受け入れ、共に生き遠慮なく思いを述べあう場があればいい。
「これは何? どうしたらいいの? わからない」は、「拾円塾」で話し、共に悩み、考え、その気づきと学びを繰り返すことで、知識と技術に変わり、普通の生活感の「あたりまえの対応」からは、共に町で暮らす多くの工夫や知恵が生まれた。
その「あたりまえの対応」から、レストランと配食サービスが始まった。「していて惨めになる作業より人から『ありがとう』って言われる仕事がしたい」という思いに応えて始まった活動である。
会に賛同して集まった人たちは、それぞれの知り合いを巻き込んだ。食材はできるだけ自然で安全なものを安くと仕入れ先を探し、調理はおいしく健康にいいものをと専門の料理人に教わり、食べるということを大切にと使い捨てではない容器を使い、弁当一つひとつを小さな風呂敷に包み、その日のメッセージを添えて配達する。配達先は、一人暮らしのお年寄りや保健所、学校、病院といろいろと広がり、地域の行事や集会などからも、行事の折にはまとまった数が注文されるようにもなった。お金より、人から「ありがとう」と言われる仕事がしたいと、弁当を手渡しで届けて言葉を交わしお金を受け取る配食というサービスを通して、自分たちから地域に入っていったことで、受け入れられ広がり、活動が定着した。「おいしかったよ」「ありがとう」「ごくろうさん」と言われるのがうれしいと配達係を希望する人も増えた。

話して離し放れる
参加者名簿も作らず出席もとらない月に一度の集まり。自分が揺らいだとき、悩みが生まれたとき、思い思いに参加する。口伝てで、家族や当事者、ボランティア、グループホームの世話人や作業所の指導員、医療施設の職員、社会福祉協議会の職員、ヘルパー、その他さまざまな人が集まるようになった。
そして、病いを生きる苦しみ、支える大変さ、支えていたと思っていたら支えられていたなど、それぞれの思いが話される。「私だけかと思ってた」「みんなそうじゃないの?」「ああ、そう考えてもいいのか」、さまざまな気づきと学びを繰り返すなかで、悩みは知識と技術に変わる。普通の生活感であたりまえに対応する、その四苦八苦から、共に町で暮らす多くの工夫や知恵が生まれた。「たかが拾円、されど拾円」である。「拾円塾」に集い、人の話に耳を傾け、積もった思いを話す。話すことで、モヤモヤ、イライラ、やり場のない胸のつかえが離され、放れていく。それぞれの違いを受け入れて共に生きるには、話す場があり、聴いてくれる人がいる、自分の気持ちをわかってくれる人がいることが何よりの力。

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