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心と社会 No.199 2025
巻頭言

21世紀の「心と社会」の健康

桑原 寛
本厚木駅前こころの相談室

 戦後80年の間に、「心と社会」の健康をめぐるまなざしは大きく変化した。

 健康は、1948年に発効したWHO憲章の前文において、到達しうる最高の状態として「病気でないとか、弱っていないということではなく、身体的、心(mental)的、社会的に、すべてが良好(well-being)な状態にあること」と定義された。

 その後、WHOは、1975年にプライマリヘルスケアの概念を定め、1977年の世界保健総会で『全ての人に健康を』との目標を採択し、翌年の「アルマ・アタ宣言」では、その実現に向け、国策として、保健医療分野が、社会経済的分野からの協力と住民の参加を得て地域保健活動を推進し、地域保健ニーズに応えうる体制整備をめざすことが提言された。

 そして、1986年の「オタワ憲章」では、健康は目的ではなく、生活の資源であって、平和、住居、教育、食糧、収入、安定した環境、持続可能な資源(SDGs)、社会的公正と公平などが必要であり、健康づくりには、個人の健康増進力と、個人を取り巻く環境を健康に資するよう改善していくことが求められるとした。

 また、2010年の「アデレード声明」では、健康とは、人の身体的能力に加え、その人の持つ社会的および個人的なリソースにも重点を置く、ポジティブな概念であり、ヘルスプロモーションには、全ての政策において健康を考慮する必要があるとされた。

 一方、「心」については、戦後の脳行動科学などの進展によって、その構造と働きについての理解が深まった。すなわち、「心」は、脳が、身体や社会との交互作用の中で紡ぎ出す「働き」であり、脳の発達とともに人生体験をふまえ生成発展する。その機能は「自律神経」「知覚」「情動」「本能」など生命の維持に直結した無意識的働きや、自分の健康度1)を総合的に判断・評価し、身体と社会生活の健康を保持・増進するなど意識的な働きである「精神」、さらには「スピリチュアル」な働きなど多彩である。

 また、心の「健康〜不調〜病」は一連のもので、ダイナミックに変動しており、その境界を明瞭に定めることは難しい。しかし、心の病と不調への治療・対処法は、戦後、精神医学、リハビリテーション医学、健康学などの進展により大きな進歩を遂げた。

 心の病と障害の診断については、1980年の米国の記述的・操作的診断基準による診断分類体系(DSM)や2001年の国際機能分類(ICF)によって国際的な共有化が進み、薬物療法、各種心理療法、リハビリテーション技術などの進歩のもと、病者・障害者にも存在する「回復力(レジリエンス)」を引き出し育む「エンパワメント」によって「リカバリー」をめざすといった新たな治療目標が設定されるようになった。

 他方、心の不調は、近年、多様化しつつ増加の一途を辿っている。すなわち、わが国では、1965年以降の高度経済成長の陰で、都市化、女性の社会進出、労働構造の変化が進み、1970年以降は少子・高齢化が加わって核家族化、孤立化が深刻化し、育児不安、いじめ、不登校、ひきこもり、介護者の燃え尽きなどの諸問題が顕在化し、生活習慣病など慢性疾患の増加など疾病構造の変化による心の不調が増加した。

 さらに、21世紀に入ると、高齢者・障害者の地域生活支援の課題、相次ぐ大規模自然災害時の心のケア問題、自殺者3万人問題、コロナ・パンデミック下での健康危機、IT機器の普及を背景にしたインフォデミック、その他の新たな心の健康にかかる課題が陸続と出現し続けている。

 こうして、厚生労働省の患者調査での精神科医療機関の1日あたり利用患者数は、1954年の72万人から2017年の419万人へと増加し、2012年には、心の病が5大国民病の一つに位置づけられるに至った。

 WHOは、こうした心の病〜不調の増加が地球規模で進行しつつあるとの認識のもと、21世紀最初の年である2001年のワールドヘルスレポートのテーマを「メンタルヘルス(心の健康)」とし、国策としてのメンタルヘルス対策への取組みの重要性を呼びかけた。そして、心の健康を「個人が自身の能力を発揮し、生活上の通常のストレスに対処し、生産的かつ有意義に働き、地域に貢献することができるような良好な状態」と定義し、「心の健康なしの健康はない」との基本理念のもと、国際的戦略としてのメンタルヘルス・アクションプランを提示した。

 また、心の健康づくりには、セルフケアを基盤に、民間サービスなど非公式コミュニティケア、公的サービスとしてのプライマリケア・メンタルヘルス・サービス、総合病院および地域精神保健サービス、長期入院と専門精神科サービスなどで構成される包括的なピラミッド型メンタルヘルスサービス組織の構築整備が必要とされている。

 わが国でも、2001年には、介護保険法に基づく認知症者など高齢者を支える地域づくりが開始され、国民の健康作り計画「健康日本21」に「心の健康づくり」の目標が明記されるなど、国をあげての取組みが開始された。そして、2004年には「精神保健医療福祉の改革ビジョン」と「今後の障害保健福祉施策について、改革のグランドデザイン案」が策定され、「入院医療中心から地域生活中心へ」を基本理念に、国策としての10年計画での精神保健医療福祉体制改革の取組みが開始された。さらに、自殺者3万人問題に対しては、2006年に自殺対策基本法が制定され、各種行政部門における関連法の整備を進めつつ、国をあげて自殺対策が進められてきた。

 そして、こうした流れの中2014年には、国指針である「良質かつ適切な精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針」が策定されたが、その対象は、子どもから高齢者まで全ての人の心の病と不調、自殺対策、大規模災害時の心のケアなど多彩であり、さらに、国民の心の健康づくりも課題とされるなど、「心の病〜不調〜健康」への対処体制の整備構築がめざされている。

 以上、「21世紀は心の世紀」と言われるようになる中、わが国でも、新たな「心と社会」の健康観に基づく人生80年時代の健康づくりの取組みが本格化している。しかし、その歩みは未だ緒に就いたばかりであり、今後、さらなる取組みの充実化が期待される。

 1) 健康度:健康と病気とは二者択一の関係にはない。すなわち100%の健康も、100%の病気もなく、健康は健康度として把握するのが実際的である。また、身体と心と社会生活の健康は一体的であり、その包括的な健康度は一日単位で変動している。

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