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心と社会 No.202 2025
巻頭言
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精神科治療とは言葉と薬とによる「耕心」(井出孫六)である
飯森眞喜雄 1)2) 1)いいもり こころの診療所、2)東京医科大学名誉教授
40年間の大学での責務と雑事から解放され一臨床家として自由に診療ができるようになって10年が過ぎた。巻頭言といっても、この間の私事の感慨にすぎず恐縮する次第である。
個人開業して責任を負わなければいけないのは患者さんに対してだけであり、はじめのうちは充実感があった。だがそのうちに首都圏以外から通院される方や自死遺族のグリーフケアのNPO法人に関わっているせいもあってか非うつ病性の「死にたい」という患者さんが多くなったという事情もあり、診療が終わるとぐったりする。無論、加齢のせいも大きいが。
そうしたなかで心がけていることといえば二つある。一つは“診療慣れ”を防ぎ“振り返り”をすること、つまり次々と診ていく場合にも長年診ているケースでも、そのつど気持ちをいかにリフレッシュさせるかということである。最近では“的を得た”応答をしてくれるAIに負けず精神科医としての技能をいかに保つかということも必要になってきそうである。もう一つは精神療法と薬物療法との関係をいかにうまくとるかということである。「精神療法」を標榜していると、若い医師からも両者の兼ね合いをよく訊かれる。
日本でも欧米でも教科書は「薬物療法」と「精神療法」と別建てで、それぞれがまったく違う治療法のように書かれている。しかしいうまでもなく、実際の日常臨床では両者は不可分である。絵画療法やグリーフケアやターミナルケアで行っている句作や歌作(哀しみやお別れを詠む)といった薬を使わないものもあるが、それらは例外的で、やはり日々の診療では薬物で“逃げ”たり“一時休戦”することが多々ある。しかしそうした場合にも精神療法の態度が欠かせない。たとえば、患者さんが薬という媒体を通して治療を受けているんだという被保護感や、薬を通して治療者と繋がっているんだという安心感を抱くようにすること、薬効を通した治療者への信頼感の醸成といったものはどれも欠かせない。したがって、これらが満たされるように言葉を工夫しなくてはいけない。
なぜなら、こうしたことは薬物療法で何よりも大切なプラセボ効果を高めるからである。そのために、薬を処方するにあたり、わざと薬理学的・大脳生理学的に“硬く”説明したり(《硬い言葉》の使用)、逆に比喩や譬え話、オノマトペを交えながら曖昧ではあるもののより身体感覚的に“柔らかく”伝えたりする(《柔らかい言葉》の使用)ことも大切になる。サリヴァンは精神療法場面における言葉はverbalなもの(音声)ではなくvocalなもの(肉声)たれと述べているが、薬の処方に際しても言葉の配慮が欠かせない。
言葉は薬の効き方を裏打ちするものでなくていけないし、薬は言葉の力を裏支えしつつ、精神療法と薬物療法とは全一的に進む。ではそれを具体的にイメージ化するとどうなるだろうか?
2022年、岩波書店元社長の山口昭男氏が私家本として出された『耕心 井出孫六の希い』をいただいた。井出孫六は直木賞作家であるが、むしろ優れたルポルタージュで高名である。「耕心」という言葉は井出の造語で広辞苑にも載っていないという。岩波書店元社長がおっしゃるので間違いないだろう。井出が揮毫した「耕心」という文字を目にした途端、若い医師から訊かれた時にうまくイメージ化できなかった言葉と薬との関係がすっと浮かんできた。「そうか、耕心か!」と。
身体疾患では「元の(健康)状態」に戻すことが治療目的になるが、精神疾患ではそうはいかない。大仰に言えば、「辛さを横に置いたまま、新たなこころを持って現実の共人間的世界で生きていけるようにすること」であろうか。それには硬くなったこころの地面を耕していかないといけない。すなわち「耕心」である。
辛さで固まった土地を言葉と薬とで耕していく。言葉は地面を穿ち耕す鍬か鋤か。薬は土を柔らかくする水か肥料か。あるいはこの逆かもしれない。そしていつしか、耕され土壌からは新たなものが生えて育っていく……。
この言葉を知って、たとえばゴッホがなぜ何枚も何枚も同じ構図の向日葵を描き続けたのか理解できる気がした。内発的な自己治癒への動きである。美的に完成された向日葵を描くことが目的なのではなく、そのつどゴッホはこころを耕していたのではないだろうか。
こうした「耕心」のイメージは治療者にとっても“診療慣れ”を防ぎ“振り返り”を容易にし、そのことが疲労感を和らげ、リフレッシュさせてくれるような気がする。
終わりに、世界でもっとも美しい「耕心」の精神療法の一例として芭蕉の『おくのほそ道』を簡単に紹介しておきたい。この紀行文は芭蕉(患者)と曾良(治療者)との“同行二人のこころの旅路”の記録と読むことができる。憂き江戸を旅立ち、越後路で天と地の極みに置かれたような実存的危機(唐木順三による「日本海体験」)を「荒海や佐渡によこたふ天河」と絶唱することによって乗り越え、次の「一家に遊女もねたり萩と月」へと一気に変貌していく様に芭蕉のこころの変化が窺える。芭蕉はこの句を境に現実の共人間世界に戻ってきたのである。芭蕉はこの句にのみ「曾良にかたれば書きとどめ侍る」とわざわざ書き添えている。芭蕉を救い出してくれた曾良に対する感謝の気持ちの表れと思えてならない。芭蕉にじっと耳を傾け、句作という「耕心」に同行してきた曾良に治療者としての姿を見る思いがする。
折に触れて『おくのほそ道』を読むこと、それは私自身の「耕心」でもある。
参考文献
・飯森眞喜雄:ホモ・ロクェンスの病─言葉の処方と精神医学─.日本評論社,2014
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