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心と社会 No.204 2026
時評

精神展開剤は「心」と「社会」をどう映し直すか?

内田裕之
慶應義塾大学医学部 精神・神経科学教室

 精神疾患は、特別な人にだけ起こるものではなく、誰の生活にも入り込みうる身近な病である。うつ病、不安症、心的外傷後ストレス障害、依存症などは、本人の苦痛にとどまらず、家族関係、就労、就学、地域生活にも長く影響する。症状が長引けば、「自分はもう元に戻れないのではないか」という感覚そのものが苦痛を深めることもある。薬物療法や心理療法によって回復する人は多いが、十分に改善しない人や、いったん良くなっても再発を繰り返す人も少なくない。精神科治療はこの数十年で着実に進歩してきたが、それでもなお十分ではない。こうした行き詰まりのなかで、新しい治療の選択肢として再び注目されているのが、シロシビンやLSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)、MDMA(メチレンジオキシメタンフェタミン)などの「精神展開剤(サイケデリクス)」である1,2)

 精神展開剤は、法的には麻薬の一種として厳格に規制されている。一方で、人類と精神展開剤との関わりは非常に古く、宗教儀礼や伝統医療の場面で用いられてきた長い歴史がある。たとえば、古代マヤ文明では、シロシビンを含むキノコが神聖な儀式における祈りや癒しの体験を支えるとともに、うつや不安の治療に用いられていた。南米で用いられているアヤワスカもまた、共同体の秩序を保ち、苦悩、死生観に向き合うための媒介であった。精神展開剤は一般的な抗うつ薬のように毎日服用して徐々に効く薬とは異なり、1-2回の投与のなかで、幻覚や知覚変容など強い主観的体験を伴いうる点に特徴がある。

 20世紀半ばになると、欧米の精神医学はこうした物質を科学の対象として捉え直した。一時期は、意識や自己感覚を理解するための手がかりとして研究され、うつ病、不安症、依存症、終末期の苦痛なども対象となった3)。しかし1960年代から70年代にかけて、カウンターカルチャーや薬物使用をめぐる社会不安と結びつき、精神展開剤は「危険薬物」や「反体制」の象徴として捉えられ、その結果、研究も長く停滞した。ここで重要なのは、精神展開剤をめぐる理解が、科学だけでなく、社会の価値観やメディアの語り方によっても形づくられてきた点である。

 長い“冬の時代”を経て、その後1990年代に研究が再開され、「サイケデリック・ルネサンス」と呼ばれる現在の流れに至っている。うつ病では、シロシビン1-2回投与で症状改善が示され4)、うつ病では既存抗うつ薬との比較試験も報告されている5)。PTSDに対しても、MDMA補助療法の第3相試験が相次いで公表された6)。こうした結果は、精神展開剤が一部の特殊な話題ではなく、精神医療の新しい選択肢として本格的に検討され始めていることを示している。ただし、長期安全性や適切な対象など、なお慎重に検討すべき課題は多い。現在、シロシビンでは実用化を見据えた第3相試験が進んでいる一方7)、MDMAでは有効性への期待があるものの、試験方法や安全性評価をめぐって規制当局が慎重な姿勢を示している。オーストラリアでも限定的な医療利用が始まったが、自由な使用が認められたわけではない。アジアにおいては、慶應義塾大学病院における治療抵抗性うつ病を対象にしたシロシビン療法の実行可能性検証試験が、2026年2月に完了したばかりである8)。この分野は、期待と慎重さの両方を抱えながら進んでいる段階にある。

 精神展開剤を用いた治療には複数の実施法があるが、ここでは比較的標準的なシロシビン療法の流れを概説する。まず、投与の数日前に行われる「準備セッション」では、患者のこれまでのトラウマ体験や病歴について丁寧に確認し、治療者との信頼関係を築く。また、投与当日に生じうる体験についてあらかじめ十分に説明し、どのような支援を望むかも含めて具体的に共有しておく。続く「投与セッション」では、患者はアイマスクとヘッドホンを着用し、落ち着いた環境で横になりながらシロシビンを服用し、自らの内的体験へ注意を向ける。服用後およそ30分で意識状態の変化が現れ始め、鮮やかな視覚変化や時間感覚の変容、神秘的体験などを伴いながら、いわゆる“trip”として内面世界を深く体験する。その過程で苦痛を伴う記憶や感情が浮上した場合にも、それを排除せず受け止める姿勢が勧められる。体験はおおむね服用後90分前後で最も強まり、全体として6時間程度で収束する。この間は2名の心理士または精神科医が同席し、不安や動揺が生じた際には支持的に関わる。さらに、投与後数日以内に実施される「振り返りセッション」では、患者が体験内容を振り返り、それを言葉にして整理することを支援する。人生観を揺さぶるような強い体験を咀嚼する中で、ときに“悟り”にも似た気づきが得られ、寛容さや希望、楽観性が生まれることがある。なお、この場で治療者が特定の解釈へ誘導することはない。以上の準備・投与・振り返りから成る一連のプロセスを、通常は1コース、場合によっては2コース行う。

 精神展開剤による治療が示唆的なのは、効果が薬そのものだけで決まらない点である。この領域では「セット」と「セッティング」が重視されてきた。セットとは、その人の精神展開剤療法に向けた心構え、期待などのマインドセットである。セッティングとは、投与される空間、支援体制を指す。実際の治療研究では、投与前の準備、投与中の寄り添い、投与後の振り返りをどのように最適化および標準化するかが方法論上の課題となっている。ここで問われているのは、「薬が症状を抑える」という発想だけでなく、「体験がどのように意味づけられ、人生の文脈に組み込まれるか」という課題でもある。近年は、「体験そのもの」がどこまで治療効果に必要なのかという論点も浮上している。また、治療セッション中の体験の強度と臨床改善との関連を支持するメタ解析も報告されている9)。一方で、幻覚作用を弱めつつ脳の可塑性だけを高める薬を開発しようとする試みも始まっている。動物・前臨床研究では、そうした「非幻覚性」精神展開剤候補の神経可塑性作用が示されている10)。もしそのような薬が実用化されれば、より広く届けやすくなるかもしれない。しかしその場合、症状改善だけで十分なのか、それとも自己理解や価値観の再編まで含めて治療と考えるのか、という問いは残る。

 この論点は、文化社会的にも示唆的である。現代社会では、苦しみはしばしば個人の脳内の問題として理解されがちである。しかし現実には、孤立、過労、貧困、不安定な人間関係、将来への見通しの乏しさといった社会的要因が、心の痛みに深く関与している。精神展開剤による治療には、症状だけでなく、自己像や他者とのつながり、人生の物語そのものの立て直しに関連があるのかも知れない。言い換えれば、精神展開剤は「脳に作用する薬」であると同時に、「意味の再編」を促す契機として受け止めることができる。精神展開剤をめぐる議論は、治療の目標を単なる症状軽減に置くのか、それとも自己理解や関係性の回復まで含めて考えるのかを問い返しているとも言えよう。同時に、ここには一つの逆説がある。精神展開剤は、もともと儀礼や共同体の文脈で用いられてきた。しかし現代医療は、それを病院の個室、標準化されたプロトコル、インフォームド・コンセント、評価尺度、安全管理の枠組みへと移し替えようとしている。この移行作業は必要であるが、共同体的な支えや宗教的世界観を退ける側面もある。したがって現代の精神展開剤治療は、「失われた儀礼」の単純な復活ではなく、近代医療と意味や関係性を重んじる人間理解とをどう折り合わせるかという取り組みでもあるともいえよう。ここに、このテーマの文化社会的な興味深さと難しさが同居している。

 一方で、注目の高まりには危うさも伴う。期待が先行し、「一度の体験で人生が変わる」といった誇張が広がれば、不適切な自己使用や商業的な搾取を助長しかねない。SNSやインターネット上では、表面的な“神秘体験”や“自己変容”が魅力的に発信されやすく、セットやセッティングの準備の重要性、副作用のリスクは見えにくい。有害事象に関して、重篤な転帰はまれとされつつも11)、条件や対象選択によってリスクは変わりうる。長期的な精神病症状を誘発する可能性をめぐる論点についても、なお慎重な検討が必要である。日本で今後この治療を導入する際に、考えるべきことは「効くかどうか」だけではない。どのような施設で、誰が、どのような訓練を受けて実施するのかは、社会実装の観点からも重要な課題である。医師と心理職の協働、施設や施術者の基準、費用負担、社会への情報発信など課題は少なくない2)

 精神展開剤は万能薬ではない。しかしその再登場は、心の治療とは何か、回復を支える社会とは何かを考え直すための鏡である。熱狂にも拒絶にも流されず、精神展開剤による治療を、科学と倫理、そして社会の視点をもって向き合うべき時期に来ている。

 注意:本邦では、LSD・MDMA・シロシビン/シロシンなどの精神展開剤は「麻薬」に指定され、シロシビンを含むキノコ類は「麻薬原料植物」に指定されている。所持や使用は違法。臨床試験は法令・倫理審査の枠組み内で実施されている。

 開示すべきCOI:大塚製薬株式会社

 

引用文献

1)内田裕之.精神展開剤シロシビンによるうつ病治療.精神科治療学.2025;40:221-224.
2)内田裕之.精神展開剤の数奇な歴史と今後の展望.精神看護.2026;29:6-10.
3)Yonezawa K, Hirata M, Takano H, Kusudo K, Tomiyama S, Harada L, Suzuki K, Nutt DJ, Uchida H, Tani H. Psilocybin for psychiatric disorders:History, clinical trials, neuroimaging, and regulations. Psychiatry Clin Neurosci. 2026.
4)Raison CL, Sanacora G, Woolley J, Heinzerling K, Dunlop BW, Brown RT, Kakar R, Hassman M, Trivedi RP, Robison R, Gukasyan N, Nayak SM, Hu X, O’Donnell KC, Kelmendi B, Sloshower J, Penn AD, Bradley E, Kelly DF, Mletzko T, Nicholas CR, Hutson PR, Tarpley G, Utzinger M, Lenoch K, Warchol K, Gapasin T, Davis MC, Nelson-Douthit C, Wilson S, Brown C, Linton W, Ross S, Griffiths RR. Single-Dose Psilocybin Treatment for Major Depressive Disorder:A Randomized Clinical Trial. Jama. 2023;330:843-853.
5)Carhart-Harris R, Giribaldi B, Watts R, Baker-Jones M, Murphy-Beiner A, Murphy R, Martell J, Blemings A, Erritzoe D, Nutt DJ. Trial of Psilocybin versus Escitalopram for Depression. N Engl J Med. 2021;384:1402-1411.
6)Mitchell JM, Ot’alora GM, van der Kolk B, Shannon S, Bogenschutz M, Gelfand Y, Paleos C, Nicholas CR, Quevedo S, Balliett B, Hamilton S, Mithoefer M, Kleiman S, Parker-Guilbert K, Tzarfaty K, Harrison C, de Boer A, Doblin R, Yazar-Klosinski B. MDMA-assisted therapy for moderate to severe PTSD:a randomized, placebo-controlled phase 3 trial. Nat Med. 2023;29:2473-2480.
7)Compass Pathways:Compass Pathways Successfully Achieves Primary Endpoint in First Phase 3 Trial Evaluating COMP360 Psilocybin for Treatment-Resistant Depression. https://ir.compasspathways.com/News--Events-/news/news-details/2025/Compass-Pathways-Successfully-Achieves-Primary-Endpoint-in-First-Phase-3-Trial-Evaluating-COMP360-Psilocybin-for-Treatment-Resistant-Depression/default.aspx
8)内田裕之.治療抵抗性うつ病に対するシロシビン療法の安全性と効果の検討:単群オープンラベル試験 https://jrct.mhlw.go.jp/latest-detail/jRCTs031230351.
9)Romeo B, Kervadec E, Fauvel B, Strika-Bruneau L, Amirouche A, Bezo A, Piolino P, Benyamina A. The intensity of the psychedelic experience is reliably associated with clinical improvements:A systematic review and meta-analysis. Neurosci Biobehav Rev. 2025;172:106086.
10)Cameron LP, Tombari RJ, Lu J, Pell AJ, Hurley ZQ, Ehinger Y, Vargas MV, McCarroll MN, Taylor JC, Myers-Turnbull D, Liu T, Yaghoobi B, Laskowski LJ, Anderson EI, Zhang G, Viswanathan J, Brown BM, Tjia M, Dunlap LE, Rabow ZT, Fiehn O, Wulff H, McCorvy JD, Lein PJ, Kokel D, Ron D, Peters J, Zuo Y, Olson DE. A non-hallucinogenic psychedelic analogue with therapeutic potential. Nature. 2021;589:474-479.
11)Hinkle JT, Graziosi M, Nayak SM, Yaden DB. Adverse Events in Studies of Classic Psychedelics:A Systematic Review and Meta-Analysis. JAMA Psychiatry. 2024;81:1225-1235.

 

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