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心と社会 No.204 2026
巻頭言

傷ついた子どもの心を護り、癒し、育むこと

齊藤万比古
青渓会駒木野病院 顧問

 児童虐待を受けた被虐待児への社会的対応は児童相談所での一時保護やその間の親指導、そこで家庭復帰が不適当と判断された場合の児童養護施設など各種の児童福祉施設への入所措置が一般的だろう。しかし、こうした児童福祉領域での支援だけではすまなくなるのが解離症状や睡眠障害のような精神症状の出現や、頑固な不登校、頻発する激しい癇癪、繰り返される自傷や自殺行動、あるいは同室の仲間や施設スタッフへの激しい暴力といった問題行動が頻発してくるような子どもの場合である。まさに「可哀そうな被虐待児」を虐待家族から救い出し保護したはずの児童福祉機関の担当者からすれば驚きと衝撃の事態であるだろう。

 こうした状態像は、保護された当初から表面に出ている子どもも存在するものの、圧倒的に多く現れてくるのは保護されて何年か経過した小学校高学年から中学生にかけての数年間である。こうした状態像を示すようになった子どもは児童養護施設では抱えきれなくなることも多く、児童心理治療施設への措置変更や、一時保護委託などの形で児童精神科医療機関での入院治療へつながることが珍しくない。このような処遇変更を余儀なくされる子どもを被虐待児の中のレアケースととらえるか珍しくない展開の一つととらえるかは児童精神科医をはじめ子どものこころの診療に関わる者にとって重要な課題といってよいだろう。

 かつてはこうした状態に陥る被虐待児は児童精神科領域においても「反社会性が高く、手に負えない困った子ども」であると少し突き放した感覚でとらえられていることが多かったように筆者は記憶している。しかし現在では、こうした子どもの状態像の変化は深刻な被虐待体験やその他の逆境体験に続発してくる一般的な現象であることが子どものこころに関わる臨床家の周知の事実となってきている。

 こうしたとらえ方の変化が生じた契機は20世紀終盤の1994年、米国精神医学会(APA)によるDSM-IVが心的外傷後ストレス障害(PTSD)と、抑制型および脱抑制型の2型からなる反応性愛着障害(RAD)という2概念を採用したことであった。このことに背中を押され、この時期からわが国でも急速にこうした精神病理的概念に注目が集まるようになった。特にRADは児童虐待との関連の深いことが指摘されていることから、児童福祉領域でも児童精神科臨床でも注目を集めた。DSM-5(2013)およびDSM-5-TR(2022)の時代となり、このRADは反応性アタッチメント症(RAD)と脱抑制型対人交流症(DSED)の2概念へと整理されている。

 ここに加わったのがわが国ではいまだ公式には適用されていないICD-11(WHO, 2018)に初めて記載された複雑性PTSD(C-PTSD)という概念である。この概念の登場が大いに有意義なのは、児童虐待のような慢性的で持続的な逆境性を背負わされた子どもの中には情動の制御が難しく、対人関係で過度に回避的だったり、逆に誰彼構わない他者への過剰接近であったりと対人関係を安定して維持する能力に欠け、自尊心が過剰に低く自己否定的であるなどの「自己組織化の障害」と呼ばれる症状をPTSD症状とは別に示すようになる子どもがいることを明らかにした点である。

 こうした新たな概念の登場によって、児童虐待のみならず深刻な逆境的養育環境で育った子どもが背負わされた特殊な心性が明確に説明されたことから、被害者であったはずの子どもがある時から加害者に転じたり、信頼し合う関係を結べていたはずの子どもが怒りを顕わに攻撃を向けてきたり、その子どもが激しい自傷行為やオーバードーシスをくりかえすようになるといった展開にこれまで困惑させられてきた支援者や治療者は、新たな理解のもとでそれを受け止めることが可能になったといえるだろう。すなわち、虐待を受けた子どもが保護された場でどんなに健気にふるまっていようとも、その心は抑えきれない他者への激しい憤りと、同じくらい激しい自己否定的感情や自己破壊的衝動を共に抱えて苦しんでいるのだという理解を持って支援者は子どもと出会うことが可能となったということである。

 この事実を前提に子どもの心身を護り癒し育もうと努める私たち臨床家は、怒れる子どもの背後にある激しい自己否定と、死にたいと願う子どもの背後にある激しい憤りを二つながら抱え、被虐待児の治療・支援に辛抱強く関わり続けなければならない。それに費やされる時間は、傷ついた子どもが主体としての自己を受け入れ成長していくための大切な育ちの時間となるであろうと筆者は確信している。

 

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