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心と社会 No.97 30巻3号
特別寄稿 |
森田療法と私
(財)メンタルヘルス岡本記念財団 理事長岡本常男
第一線の企業人トップとして活躍していた頃、私は、激しい神経症に陥りました。やがて幸いにもこれを、世界的に知られた精神療法─―森田療法によって克服することができました。以下は、私の神経症体験も含めて、森田療法に関することを記してみましょう。
1)極度の食欲不振に陥る
若い頃から私は、胃腸の弱さに悩まされて、いつも節食に心がけていました。
その上……。(株)ニチイ(現在は(株)マイカル)で、副社長と営業本部長を兼任していた時のことです。1985年の秋ごろから急激に食欲が減退して、1日2食だった食事が時には1食になりました。翌年の春になりますと、1日1食でさえやっとの思いです。その食事の内容にしてもトースト半切れ、スープがカップ1杯、たまご半分、アイスクリーム少々というありさまでした。それまで、私の体重は45sでしたが、とうとう36sにまで減少してしまいました。
そのころ、4カ所の病院で精密検査をしてもらいましたが、胃下垂、栄養失調、白血球不足などの診断はあったものの、「胃腸には特に異常ありません」といわれました。異常なし、といわれても、全く食欲がないので納得できません。漢方薬や健康食品から心霊療法まがいに至るまで、人が良いという治療法はいろいろと試みました。しかし、いっこうに快くならないので、ずいぶん悩みました。
そんな時に、たまたま旧友から森田療法を紹介されました。この森田療法というのは、1920年ごろ森田正馬博士(東京慈恵会医科大学名誉教授、1874〜1938)によって創始された、神経症のための精神療法です。
さて、それを紹介された日に、数冊の本とカセットテープをもらったのです。さっそく森田療法の本をむさぼるように読み、くりかえしテープを聴きました。そのうちに私は、「自分が胃腸の病気ではなく神経症であること」が十分に理解できたのです。それは、次に示すような理由からでした。
2)神経症を起こした理由
第一は、私の胃腸障害は器質的(肉体的)な病気ではない、という事実です。いくつもの病院で精密検査をして、「胃腸に異常なし」と診断されています。―森田博士の高弟、高良武久博士(東京慈恵会医科大学名誉教授、1900〜1997)は神経症というものを定義して、「神経症とは心理的からくりによって、精神的あるいは身体的、もしくは両者を含む機能障害が起こり、それが慢性的に固定している状態」といわれています。
第二は、私が神経質性格であったことです。森田療法がよく適合する神経症になりやすい人の特徴として、「心配性で劣等感をもち、執着心が強く、内省的であって生存欲・向上発展欲が強い」ことがあげられていますが、私の性格にぴったりと一致していました。
第三は、心気症(ヒポコンドリー性基調)の傾向があったことです。この心気症とは、「誰にでもありがちな身体の不調や違和感を、その人の性格傾向から異常と考えて不安を抱き、それに執着していくこと」といわれています。確かに私は、食事のたびに消化のよいものを食べ、いつも胃腸のことを心配していました。
第四は、精神交互作用があったことです。これは例えば、「ある不安に注意が集中すると、その感覚が鋭くなり、いっそう注意が不安に集中するというように悪循環が起こり、不安が拡大していく状態」を指します。すなわち注意と感覚の相互刺激による、特定の気分・感情の拡大固定していく過程が精神交互作用です。私の胃腸に対するこだわりは、まさにこれによるものだと納得できました。早く眠らなければと、睡眠に注意を集中すればするほど目が冴えて、ますます眠れなくなる時があるのは誰しも経験するところでしょう。
第五は、すべてのことに完璧主義であったことがあげられます。つまり、「かくあるべし」という理想主義の生き方と、その思い込みがありました。―要するに、理想的な営業責任者でありたいという不可能を可能にしようとする心の葛藤と、胃腸を心配するあまりの心気症・精神交互作用とが、からみ合った。そのために、心と体のバランスがくずれ、急激な食欲減退という現象として表れたものと理解できたのです。
3)やがて性格も明るくなった
したがって、あとは森田療法の教えるところに沿って、自分の気分・感情にとらわれず、目的本位に行動し、生活をすればよいわけです。
すなわち毎日3食、とにかく少量でも食べることから実行していきました。食欲もなく体調のわるいときもありましたが、「狂っているのは胃腸ではなく、自律神経のほうだから……」と言い聞かせて、食べる量にしても少しずつ増やしていったのです。やってみればなんとかできるものです。おかげで体重がひと月に2・ずつ増えて、半年後には過去最高の50・に達し、胃腸の調子もすっかりよくなりました。
そればかりか、かつての私はネクラで心配性、そして劣等感と自己嫌悪に悩まされていましたが、次第に性格も明るくなり、生き方も前向きになっていきました。そして今、心身ともに快適な毎日を送っています。
こうして私は、長年の悩みから解放されました。それと同時に、神経症に悩む方には、一人でも多く森田療法のことを知ってもらいたい、と思うようになりました。そのような願いから1988年に厚生省の認可をえて、「(財)メンタルヘルス岡本記念財団」(ホームページ=http://www.mental-health.org)を設立し、森田療法の普及にも努めています。
4)無意識への“気づき”
ところで、精神分析の流れを汲む心理療法では、「抑圧された無意識への気づき」のためのカウンセリングが行われているようです。これは、よく同感できることです。
というのは神経症の最中、私は、森田療法の本を何度も繰り返し読みました。そこには神経質性格の人の、誤りやすい考え方・生活態度が具体的に書いてあります。それが、あまりにも自分にぴったりなので驚かされました。そして、あるとき突然、こう気づいたのです。
かつての私は、いつも会社のために最善を尽くしている、と思っていたのですが……。会社のために「かくあるべし」というその理想の裏に、ホンネのところでは、「岡本さんはさすが創業者だ。よくやっていると、褒めてもらいたい」「同僚や部下から尊敬されたい」という気持ちが渦巻いていたことです。
いわゆる無意識のうちに自分の弱点・欠点を隠し、よいところだけを人にみせようと、いわば重いヨロイを着て虚勢を張っていたのが、その心の事実だったのです。この、思ってもみなかった「無意識への気づき」に、愕然としました。同時に、以前の私は仕事中心の生活で、家内や子供のことにしてもその立場にたって親身になって考えていなかった……と反省しました。
そんなことがあって以来、私の考え方と行動が変わっていったように思います。例えば、森田療法を知って7年目の頃、こんなことがありました。
(株)マイカルに20年近く勤めている女子社員から、「岡本理事長(マイカル健保組合理事長)が、昔副社長の頃は、近寄りがたく怖い存在でした。今は親しみやすく話しやすくて、明るくなられましたね。どうしてそんなに変わったのですか?」と尋ねられました。そこで、およそ次のように答えました。
―私の性格は、根本的には変わっていません。ただ、一日一日を、できるだけ明るく目的本位に……と生活してきました。なぜなら森田博士は、「人にどう思われても仕方がないと覚悟して、ただ人が便利なように、喜ぶように行動しなさい」と教えておられます。そういう実践を続けているうちに、笑顔と「プラスの言葉・プラスの行動」の習慣が次第に養われていきました。気づきに始まって、こんな経過を通して私は、他の人から見れば「性格まで変わった」ようにみえる時が生じてきたのでしょう。
なお、この気づきの深まりを心理学では「自己洞察」、森田療法では「自覚」と呼んでいるのではないでしょうか。
5)森田療法の一つの現況
終わりに、つけ加えておきましょう。
神経症に悩む人たちとその克服経験者で作っている「生活の発見会」(電話03-3947-1011、ホームページ http://www.mmjp.or.jp/hakkenkai)という、森田療法の組織的な自助グループがあります。現在、会員数は約6,000人です。そして北海道から沖縄まで約150カ所の地区で、月例会が開かれています。
この生活の発見会が、毎月発行している広報誌として「生活の発見」誌があります。同誌は創刊以来40数年にもなりますが、その中に掲載された「神経症克服体験記」(1957〜1998年)の数は、すでに1,000例以上にものぼっています。もとより体験記には、対人恐怖・疾病恐怖・不安神経症などほか、実にさまざまな症例が網羅されています。この事実もまた、森田療法の有効性とその理論の正しさを如実に証明するものであろうと思います。なお、生活の発見会はその活動が評価されて昨年、保健文化賞を受賞しています。
ついでながら、海外でも森田療法は広まりつつあります。たとえば、この10年来、大原健士郎先生(浜松医科大学名誉教授、前・森田療法学会理事長)らとともに、中国での森田療法の普及に力をそそいでいます。おかげで北京医科大学をはじめ、中国の主な都市の医療機関で森田療法が急速に広まっています。また内外の専門家などが集まって、これまでに「国際森田療法学会」が4回開催されています(国内の森田療法学会は毎年開催)。なお森田療法の著作は現在、中国語のほか英語・フランス語・ドイツ語で翻訳出版されています。
おかもと・つねお 1924年生まれ。1963年、(株)ニチイ(現、(株)マイカル)設立に参画。1974年、(株)ニチイ副社長。1988年、(株)メンタルヘルス岡本記念財団を設立、理事長に就任。(株)マイカル相談役。『自分に克つ生き方』(ごま書房)などの著書がある。
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