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心と社会 No.97 30巻3号
随想 |
もの忘れ外来から学んだこと
国立精神・神経センター武蔵病院 副院長宇野正威
「もの忘れ外来」を開設して5年を経た。この外来の目的は、健常高齢者にもみられる軽度の記憶力減退と、アルツハイマー型痴呆(Alzheimer
type dementia ; ATD)の記憶障害を鑑別してATDを早期に正確に診断すること、およびその後の症状の進行をできるだけ遅らせるような対策をとることである。これまでに約1,200人がこの外来を受診し、約65%はATDかその早期の疑いであった。
ATDは健忘期、混乱期、痴呆期の3段階に分けられ、早期とは健忘期を指す。ATD早期の特徴は、顕著な記憶障害、特にエピソード記憶の脱落をみるが、言語の理解も表出も特に問題はなく、知的低下がごく軽度であることである。そのようなATD早期と思われる症例は200名近くに上る。武蔵病院は、療養所時代から、痴呆性疾患としてはなんらかの問題行動や精神症状を呈する中等度ないしは重症痴呆を対象としてきた。したがって、早期ATD
の臨床像および彼らとその介護者の悩みは、もの忘れ外来を通じて初めて知ったものである。
日本は、1974年に高齢化社会に突入したといわれる。すなわち、この年に65歳以上の人口が総人口の7%を越えたのである。その頃、精神療養所における痴呆性疾患に対する医療は、少数の入院患者を長期間観察し、剖検し、研究報告をすることであった。担当医のすることは、研究報告に役立つように病状をできるだけ詳しく記載することであった。当時武蔵療養所から報告された論文をみると、地味ではあるがしっかりした内容で、おそらく学会での評価も高かったと思われる。古きよき時代の精神療養所の姿ともいえる。高齢化社会に突入とともに、患者数も著しく増大し、少数の患者を介護のために長期間入院させるわけにはいかなくなった。せん妄などの精神症状や、不潔行為などの問題行動のコントロールを目的とした短期入院を受けるが、介護のレベルが軽ければ自宅に帰し、重ければ特別養護老人ホームへの入所の方向に指導するようになった。
日本における高齢化の速度は非常に急速で、高齢者の総人口比が、わずか25年間で、7%から14%へ増加すると推測された。当然、痴呆性疾患患者数は激増する。1988年に、当時のセンター総長であった島薗先生が中心となり、厚生省精神・神経疾患研究委託費の中から痴呆性疾患に関係する部分を痴呆性疾患対策調査研究費として独立させることになった。これは今日の長寿科学総合研究に発展したものである。私は、このプロジェクト研究の中の「痴呆性疾患の治療法開発に関する研究」に加わるように指示された。
1987年に、武蔵病院、神経研究所、国府台病院、精神保健研究所の4施設が国立精神・神経センターとして組織的には統合されたとはいえ、武蔵病院の実体が変わったわけではなかった。ATDの治療研究、とくに軽症ATDの認知機能を改善したり、進行を抑制することを目的とした薬物療法の臨床研究を行う体制にはなかった。結局、精神症状や行動異常に対する少量の抗精神病薬の効果についてまとめたのみであった。武蔵病院においてATDの本格的臨床研究を行うためには、痴呆性疾患に対する臨床を根本から変える必要があると実感した。
外来でみる痴呆患者はやはり重症で、かつ介護相談が多かったが、そのうちに少数例ではあるが、これまでとは違った軽症痴呆の症例も含まれるようになった。ATDに関する書物もかなり出版され一般の人たちの理解も進んだためと思われる。有吉佐和子さんの「恍惚の人」が出版されたのが1972年、そこでは重症痴呆が示す想像外の行為、徘徊、不潔行為とその介護に振り回される家族の姿がテーマであった。その20年後の1992年に、夏樹静子さんが「白愁のとき」と題するATD早期の疑いに悩む熟年男性をテーマとした小説を出版した時、時代の変化を感じた。すなわち、ATDにつきまとう重症痴呆とその介護は現在も重大な問題であるが、同時に、著しい記憶の障害と痴呆に至るのではないかと怖れる人たちに医師がなんらかの援助の手を差し伸べられないかという問題提起である。
前述の痴呆性疾患対策調査研究費が発足の頃、センター内に「痴呆性疾患研究推進委員会」が発足した。この委員会が推進した事業は、小規模ながらもATDに関する国際シンポジウムを組織し、海外の優れた研究者をまねいて研究交流をすること、およびセンターの研究員と医師を海外に派遣し、将来の研究発展の基礎を築くことであった。そして、その過程で、ATDの早期診断の方法論が少しずつわかってきた。アメリカのCERADが開発していたATD診断の神経心理学的検査法などを参考にしながら、高山医師ら神経心理グループは健常者の軽度の記憶減退とATDの記憶障害の鑑別に努め、松田放射線診療部長はSPECTにて脳血流量の絶対値を求める方法論を開発し、痴呆性疾患における局所脳血流低下の分布の特徴を検討し始めていた。また、MRIの進歩は、海馬と海馬傍回など大脳辺縁系の形態変化を鮮明に表すようになっていた。
このような準備の後、1994年5月に「もの忘れ外来」を開設することとなった。一般の人々に近づきやすい名の外来であったようで、新聞に取り上げられると同時に多くの問い合せがあり、当初は毎日電話の応対に忙殺された。開設以来5年間、朝田医長、高山医員、木村医員と私らが診察した患者数は約1,200名に上る。その内訳は、ATDとその疑いを合わせて約800であり、そのうち
ATD初期と思われる症例は約200名に上った。一方、健常者が130、血管性痴呆は少なく70名、そのほか前頭葉型痴呆やうつ病とともに、海馬領域に焦点を持つてんかん性健忘発作、一過性全般性健忘、言語面にのみ顕著な記憶障害を示すヘルペス脳炎後遺症、シャルル・ボネ症候群など、レジデントが東京精神医学界に報告するのにふさわしい比較的稀な病気が多数混在している。
もの忘れ外来でATDの早期と診断された人々に対しては診断後の対策を考えねばならない。ATDに対する薬剤としては、アセチルコリン系の活性を高めるdonepezilが欧米ではすでに認可され、広く使用されている。この薬剤は日本のエーザイが開発したにもかかわらず、日本では臨床研究(治験)が遅れ、まだまとめに入った段階であり、もの忘れ外来の開設時にはこの薬剤もやっと治験が始まったところであった。当時、脳循環障害の後遺症としての感情障害や意欲低下に効果があるとされたいわゆる脳機能改善薬があったが、ATDに対して効果があるとは思えなかった。そこで薬剤には期待を持たず、早期ATDがどのように進行するかを調べ、その進行を少しでも抑制し得るような生活指導を行うという戦略を採ることにした。
ATDの健忘期は数年間持続し、その後、知的機能が全体的に漸次低下し、日常生活上もさまざまな問題が出現してくる。たとえば、場所見当識障害による迷子の問題を起こしたり、判断力低下のため物事の処理がうまくできず、情緒が不安定になったりする。健忘期から混乱期への経過をみると、次のような経過で知的レベルが低下する。
第一は、道具を使用した行為系列の障害が目立ってくることである。例えば、料理の手際が遅くなり、手の混んだ料理はしなくなる。そのうちに、炊事そのものを避けるようになる。これは、見かけ上意欲が低下したようにみえるが、むしろ道具を使用した行為系列の障害、すなわち頭頂葉障害の面から分析する必要がある。第二は、会話の少なくなることである。外来でよく話してくれた患者がある時期からあまり話さなくなる。わかりやすく質問すれば、簡単な言葉での反応はあるが、一家団欒の場での言葉数が少なくなり、家族は「最近無口になった」と表現する。これも一見したところ、話す意欲が減退したかにみえるが、言語の理解力が低下している可能性がある。普通の会話では、一つひとつの単語の意味から文章の理解だけでなく、文脈を通じての理解が必要であるが、後者の機能が落ちてきているため、数人のグル−プの中での会話についていくことが難しくなってきているのではないかと思われる。
このように、健忘期から混乱期に移行する際の症状の進行を捉えた時、その進行を少しでも抑えるために、次のような生活指導をしている。(1)道具と両手を使いながら、何かを作り出すような行為系列を、日常生活の中の楽しみとして位置づけること。絵画、陶芸、編み物などの趣味でもよし、また園芸を勧める場合もある。日常的に炊事を行っている場合はできるだけ続けるよう指導する。(2)会話の場をできるだけ多く持つこと。配偶者が心身ともに健康で、介護に熱心な場合は、それだけでも効果が大きいが、デイケアなどを通じて多くの人と交わり、より多くの言語コミュニケーションを持つことが大切であろう。配偶者のしっかりしている場合は、症状の進行が遅いように思われる。それは、配偶者が一緒に居るという安心感だけでなく、時には喧嘩しながらも会話があることが重要な要素であろう。配偶者が亡くなると、しばしば症状が急速に進のは、単に死別という心理的ショックではなく、話相手のない孤独な生活が症状の進行を促進してしまうためであろう。
このような生活指導は、知的活動を全体としてみると、ある程度の効果を持つ。ATD早期群の追跡調査によると、3年以内では症状の進行は著しくはない。MMSEの得点でみると、多くは年間変化率が1ないし2点の低下であった。しかし、記憶障害はやはり進行している。家族は、以前よりもの忘れの頻度が多い、忘れ方が早い、という。
いろいろな生活指導をするにしても、同時に、疾患の進行を抑制する薬物が与えられないと、その効果は高いものではない。前述の donepezilは痴呆症状をある程度改善するようであるが、進行を抑制する作用はない。一方、Vitamine
E の大量療法が疾患の進行をある程度抑制することが報告されており、アメリカではdonepezilとともに使用されている。アメリカ国立老化研究所(NIA)の最近のニュースによると、早期ATDに対する両薬剤の長期投与が疾患進行を抑制する上にどのような効果があるかの本格的な研究が開始されるようである。
外来を始めてから約5年を経過し、ATDの早期と診断した人たちのうち明らかなATDに進行した人も少しずつ出てきている。とくに言語コミュニケーションに問題の出てきた人たちは進行が速やかであり、かつ感情面でも不安定になることが多い。混乱期は患者ごとに精神症状の出方が非常に異なるので、一概にいえないが、痴呆症状としての言動のまとまりのなさと感情面の不安定さとともに、部分的には本来の知能と性格が混在して現れるのでとまどうことが多い。生活指導に努力してきた介護者も疲労し、時には情緒不安定となることがある。このような段階に至った時は、介護者への指導も臨機応変に変えていく必要がある。あまりに近づくと振り回されるので、健忘期の時よりは距離を置いて介護する必要がありそうである。患者にも介護者にももはやリハビリの努力をさせない、あるがままを受け入れていくように指導する、ことも一つの選択肢と考えている。
もの忘れから痴呆に悩む人、その介護に疲れ果てている人たちと毎日接しながら、彼らにどのような援助ができるのか、まだまだ手探りの道を歩いていくつもりである。
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