ご挨拶日本精神衛生会とはご入会のご案内資料室本会の主な刊行物リンク集行事予定
当会刊行物販売のご案内

心と社会 No.100 31巻2号
100号記念座談会
−日本の精神保健 過去・現在・未来−

 


5.精神障害者施策について


【小峯】それはわが国の精神障害者に対する施策の問題でしょうか。

【加藤(正)】それはやはり私宅監置の座敷牢に象徴されています。それは、地域の顔役の意見に従うという社会構造が、ずっとつながっているのですね。あれだけ法改正しても、依然として日本の社会にはそういう雰囲気が変わらないわけですね。ですから、何か日本人の社会には独特な旧家族的思想(川島武宜の日本社会の家族的構成)というものがあるのではないかと思います。代議士や官僚の世襲性がその代表です。

【浅井】今の全家連の中心メンバーは高齢の家族の方が多いのです。しかしその家族会に入らない若い家族の人たちがどう患者さんを支えていくかということで、家族教育が盛んに行われだしているのだと思うのです。要するに家族が患者さんを保護する機能は落ちてきている。全家連の調査でも、病院から退院してもよいといわれても、引き受けることができないというのが7割ぐらいといわれていますし、その辺りの状況というのは本当に…大変です。家族が引き受けて地域で看るという考え方だけではなくて、責任はコミュニティかもしれないし、そのためには地域の中で患者さんを看るということは、メンタルヘルスというのが市民の中に浸透しなければ無理な状況かなと思うのです。ですからわが国ではなにか道は遙かに遠いような感じもしますけれども。国や自治体の施策でやるべきことが、どうして民間にこれほど依存してしまったのかというのが問題ですね。

【加藤(正)】それは日本特有の「日本社会の家族的構成」を行政が利用したということですね。

【浅井】居住政策そのものも本当は国とか自治体とか、パブリックでやるべきこと(第三セクター方式も含めて)を、今でも8割以上は民間に依存しているわけですから。それでいながら、老人に関しては介護保険制度のように国家施策として推進している。次は国の責任として新たな「障害者介護保険」を40才以上の人達に対して実現すべきではないでしょうか?

【井上】大正時代に精神病院法ができても、結局代用病院という言葉ができてしまって。戦争が終わったときに、日本には公立病院が10もないんです。

【加藤(正)】終わったとき、公私を含めて4,000床しかなかったんですよ。

【浅井】県立病院をつくるといいながら、ほとんどできなかったですね。

【加藤(正)】ですから、「病院が欲しい、欲しい」となって私立病院に転化し、経済措置に転換し精神病院ブームが続いたわけですね。

【浅井】いまだに県立病院がないという県もありますね。

【加藤(正)】欧米では公立病院が主体ですね。

 話は変わりますが、この間ドイツの精神科医たちに「日本ではナチのような精神障害者のホロコーストはなかったか」と聞かれたんですよ。餓死した人はたくさんいた。でも積極的に死なせたケースはないということを立津政順さんの論文などを見せて、はっきりはね返したんですけれども、彼らはまたそういうのが不思議なんですね。

【浅井】それはそうでしょうね。昨年のハンブルグのWPAはまさにドイツ精神科医総懺悔で。ドイツでは1975年ぐらいまでタブーだったらしいのですけれども、精神科医が戦争中のデータを集めて今回初めて公表しました。要するにナチスドイツの時代に“悪い遺伝子の抹殺”政策を推し進め、精神科医が協力して約20万人の精神障害者をガス室に送り、さらに10万人の知的障害者を送り込んでいるわけですよね。それはそれまでまったく明らかにされていなかったものを、やっと東西ドイツが一緒になって、この問題が一気に出てきた。あれはショックでした。

【井上】ドイツは州立の精神病院。そういうことをやるにはやりやすい。ナチスの党員が院長になったり、事務長になったりしているわけだから。

【加藤(正)】精神科医自身もやらされているんでしょう。

【浅井】かなり精神科医が関与していた。

【加藤(正)】優生保護がホロコーストまでいったのですから、日本と違うのです。それには人間学的なものが日本のほうにあったと思うのですが……。

【浅井】精神障害者をガス室に送るときに全部精神科医が診断してサインしているんですよね。それまで公表していました。

【加藤(正)】日本の精神障害者は長年にわたって監視され、公安の問題に集中したにもかかわらず、精神障害者のホロコーストには至らなかったのです。

【浅井】幸い日本では、国策として精神障害者を殺害するという人道上許しがたい行為は行われていなかった。

【加藤(正)】ドイツでは公表しなかったんですね。

【浅井】なかったように感じますが。

【井上】ですから、昭和30年代の精神病院ブームだってほとんど民間病院で、しかも内科医とか婦人科医が院長なんですから。それで大学からパートを頼むという、それが40年代に悪徳病院として皆問題になったんですから。

次のページ
続く

ご挨拶 | 日本精神衛生会とは | ご入会の案内 | 資料室 | 本会の主な刊行物 | リンク集 | 行事予定