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No.6 高齢者の異常行動と妄想

種智院大学教授 小澤 勲

4.痴呆性老人の妄想

 痴呆はいうまでもなく、記憶、見当識、判断、言語、計算…などの認知障害を基本とする病気です。しかし、このような中核症状に伴ってさまざまな精神症状、行動障害がみられます。それらのなかから痴呆性老人に多い妄想のいくつかについてふれておきます。

 1)もの盗られ妄想

 最も多くみられるのが、もの盗られ妄想です。自分が置いたところを忘れて「ない、ない」と探しているうちに「盗られた」となるのです。この妄想が介護上困るのは、妄想対象、つまり「盗った」となじる相手が多くの場合、もっとも身近な介護者だからです。家庭ではお嫁さん、施設などでは担当者だったり、同室の入所者だったりします。

 一緒に探してあげて、なくなったものが見つかれば一件落着することもありますが、見つかっても「おまえはそんなところに隠しておいて意地が悪い」とさらに攻撃的になって激しく難詰したり、なかには近隣に言いふらしたり、箒を持って追いかけ回したりする人さえあって介護にあたる方は、本当に追いつめられてしまいます。

 このように激しい攻撃性を示す痴呆性高齢者は、痴呆がまだ軽度で、元来元気者、負けず嫌いで、ちょっと頑固、自分の役割をきっちりこなしてきた人、私の造語ですが「面倒見はよいが、面倒見られが下手」というような方が多いように思います。痴呆のはじまりとともに起こるさまざまな不自由や、たまたま生じた生活世界のゆらぎ(先に挙げた、うつ病の契機になる出来事を思い出してください)が重なって、「これから先の人生は、人の世話になるばかりではないか」と感じられるようになったことが大きな負担になっているようです。このあたりの心の動きには、高齢者の心の病いに共通するものがあります。

 高齢になるということは、しかも痴呆や脳血管障害などの病いや障害を抱えるということは、当然のこととして人の手を借りるということではないか、と思われるかも知れません。しかし、前にあげたような性格の方は、そのような生き方が受け入れられないのです。そして、痴呆という病いは、それまでの生き方を自ら変えて新たな状況に適応してゆく力を奪うのです。このような心のゆらぎの結果、もっとも頼りにせざるを得ない人に攻撃の矢が向けられ、「頼りたい、でも頼るのは絶対いや!」という解決不能な両価性が妄想を生むのです。

 このようなときにこそ、専門家の出番だと思います。ケアに専門性が要請されるというだけではなく、先に述べたような性格の方は、嫁に世話をされるのは嫌だが、それを仕事にしている人に世話をされるならまあいいか、と考えるようなところがあるからです。契約としてケアを提供するということの方が受け入れられやすいということです。

 また、息子の協力も欠かせません。「息子のいうことなら」と、ちょっと妥協してくださることが多いからです。親戚や近隣の方には、お嫁さんへのサポートと理解をお願いしています。
 不思議なことに、もの盗られ妄想は女性に多いのです。家庭内での物の整理などが女性に任されているという文化的背景からでしょうか。

 2)嫉妬妄想

 配偶者が浮気しているという妄想です。これはどちらかというと男性に多いようです。亭主関白で、お山の大将的に家庭で君臨してきた人が典型です。彼らの妄想は、信頼や愛が裏切られたというより、「俺のモノを盗られた」という雰囲気に満ちています。その意味では、男のもの盗られ妄想といってもよいでしょう。彼らは妻にいつも傍にいることを求め、一刻でも視野から外れると「男に会いに行ってたんだろう」と怒りだし、耐えきれなくなった妻が逃げ出すと、さらに妄想が強まるという悪循環が生れるのです。

 退職し、役割を失い、プライドを保つ根拠が配偶者の上位にあるというだけになってしまった男性が、脳血管障害などで妻の介護を受けるようになって、最後の城塞が崩れたときに嫉妬妄想に至るのでしょう。
 ここでも、妻にだけ受容を求めるような指導は改善をもたらしません。何らかのかたちで社会資源を利用するなどして、家庭という閉じられた空間への風通しを図るべきです。

 3)そのほかの妄想

 そのほかにも、いじめられる、のけ者にされる、見捨てられる、毒を入れられるなどの被害妄想、知らない人が家に入ってくる、死んだ人が傍にいる、赤ちゃんが背中に負ぶさっているなどさまざまな訴えがあります。

 4)妄想の成り立ち

 これらの妄想は、記憶障害、見当識障害、判断の障害、そして自らの障害を十分には自覚できない病態失認などの中核症状を抱えて暮らしていく不自由から生まれます。図式的にいえば、中核症状が脳障害から直接的に生まれる症状であるとすれば、これらの妄想とそれに基づいて生じる行動異常は、暮らしの中から生まれるのです。ですから、さまざまなケアの工夫をしさえすれば、暮らしのなかでなおります。

 私はこのように確信して痴呆性老人のケアにあたってきました。ケアが届きにくい中核症状、ケアによってなおる妄想や異常行動、この区別をつけるだけで、ご家族やケアスタッフには整理がつく部分があります。

 もっとも、ケアが届きにくいといった中核症状も廃用症候群(使わなければ、本来低下しない程度にまで機能が低下すること)の側面もありますから、ケアによって認知障害が軽減することも多いのですが、長期にわたってかかわっていくと、やはり中核症状は徐々に強まっていくのを防ぎ切れません。

5.高齢者の脆弱性

1.高齢者は心のゆらぎを行動として表現する
2.若年期幻覚妄想状態
3.うつ病を基盤にした妄想
4.痴呆性老人の妄想
5.高齢者の脆弱性
6.老いるということ

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