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一般社団法人 子ども・青少年育成支援協会 村中 直人 3. 自閉人の特性をフラットに理解する近年、自閉スペクトラム症をはじめとする発達障害の診療、支援に携わる人の中に「定型発達に近づけることを目的としてはいけない」と考える人が増えてきたように思う。私はそのことをうれしく思うと同時に、物足りなさもまた感じている。なぜなら「ではいったい何を目指して関わるのか」という一歩踏み込んだ議論がなされることがほとんどないように思うからだ。そしてこれは難問である。 このテーマを考える上で必要な視点は、優劣を一度離れ、フラットな視点で自閉スペクトラムの「特性」を捉えようとすることだ。重要なことは、「症状」がそのまま特性なのではないという視点だ。少なくとも「対人関係の構築が下手」「コミュニケーションがうまくできない」などの、自閉スペクトラム症についてよく知られた記述は、彼/彼女らの「特性」ではありえない。なぜならば、それらは現状の社会や環境との相互作用の結果生まれる「生きにくさ」や「よくある困難」に過ぎないからだ。自閉世界を仮定すると、そこではそういった困難のほとんどが消えてしまうだろう。少なくともそれらが、症状や障害と呼ばれるほど顕著に生きづらさにつながることは起きないはずだ。 では、自閉世界においても消えることのない自閉スペクトラム者独自の「特性」とは何か?この問いは難問であり、学術的にもコンセンサスを得られているとは言いがたい。しかしながら、近年の研究成果からいくつかのヒントを得ることはできるだろう。 一つは「ソーシャルモチベーション仮説」である。この仮説は、社会的刺激に対する報酬系回路の反応性の違いを指摘する。かみ砕いて表現するならば、人との関わりがモチベーションの源泉になりにくい人たちと言えるだろう。この仮説では、この違いをあくまで障害の原因と捉えるものではあるが、ニューロダイバーシティ的な視点では、自閉スペクトラムの人の動機づけの「対象」が異なるのではないかと捉えることも可能だろう。定型発達の人々が他者の感情や社会的評価に強い関心を持つのに対し、自閉スペクトラムの人々は物理的世界のパターンや特定の興味領域により強く動機づけられるのだ。 下位レベルの知覚操作の優位性を強調する「強化された知覚機能仮説」は、自閉スペクトラムの知覚世界の豊かさを示唆する。彼らの知覚は、定型発達者よりも詳細で正確である可能性がある。これは、マークラム夫妻が提唱した「強烈な世界仮説」とも関連する。自閉スペクトラムの人々は、過度に「リアル」な世界を経験しているのかもしれない。 「ハイポプリオール」概念も示唆に富む。プリオール(事前確率)とは、過去の経験から形成される予測のことである。定型発達者は強いプリオールを持ち、世界を予測可能なものとして経験する。一方、自閉スペクトラムの人々は弱いプリオールを持ち、より生の感覚データに近い形で世界を経験する可能性がある。 これらの理論が共通して示すのは、環境から入力される情報そのものを重視し、より初期、低次の情報処理に優位性があると指摘している点にある。これはつまり、自閉スペクトラムを広範囲の異なる認知スタイル、異なる世界の経験の仕方として捉える視点である。単なる「欠損」として捉える視点からの脱却と表現することも可能であろう。 ここで生まれてくるのが、自閉スペクトラム者が抱える社会的な困難の本質が、異なる他者同士が関わることの難しさに由来しているのではないかという疑問である。こういった視点は近年「二重共感問題」として議論されている。ミルトン(2012)は以下のように述べている。 『二重共感問題とは、もって生まれた見解や個人的な概念理解が異なる人々の間で、意味を伝えようとする際に生じる「自然な態度」の食い違いを意味する。ある意味では、二人ともが経験する「二重の問題」であり、一人の人間の中にある単一の問題ではない。』 「社会性の障害」は個人の内側に存在するものではなく、どんな特性の持ち主がマジョリティであるかに依存する相対的な問題と捉えるべきであることがわかるだろう。逆に言うと、現在の「定型発達者」がコミュニケーション能力が高いと自認できるのは、自分たちがマジョリティであるという点によって支えられていることになる。 ここで、もう一度「自閉世界」を想像してみよう。そこでは、曖昧な表現よりも明確な言語表現が好まれるかもしれない。暗黙の了解よりも、明示的なルールが重視されるだろう。感情的な共感よりも、論理的な一貫性が尊重される社会が成立するかもしれない。そうした世界では、私たちが今「定型発達」と呼んでいる人々こそが、「コミュニケーション障害」や「社会性の障害」を持つと見なされる可能性がある。 この思考実験が示すのは、「成熟した発達障害成人像」という問いが、実は「人間の成熟とは何か」という問いと切り離せないということだ。多数派に合わせることが成熟なのか、それとも、自分らしいあり方を見出していくことこそが成熟なのか。
おわりに最初に断ったとおり、本稿は何か事前に答えを準備して読者に理解を求めるものではない。そもそも「成熟した成人像」を考えることに、唯一の正解はないだろう。重要なことは、この問いを考え続けること自体である。最後に、モットロンらの興味深い言語発達研究(2021)を紹介したい。彼らは、自閉スペクトラムにおける言語発達の遅れが、必ずしも発達の「停滞」を意味するわけではなく、異なる発達経路である可能性を示唆している。つまり、未就学時期に見られる発語の少なさが、「遅れ」でも「障害」でもなく、自閉児にみられる「典型的な発達」である可能性を指摘しているのだ。「定型発達に近づけること」を目標とした介入は、もしかすると、その子ども本来の発達経路を歪めているかもしれない。 読者のみなさまには、この深遠なる問いをともに探究する仲間となっていただければ幸いである。
【引用・参考文献等】
はじめに/1. ニューロダイバーシティとは何か |
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