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学校メンタルヘルスの今後の課題
−シリーズの締めくくりとして−

東京都杉並第四小学校主幹養護教諭 玉置美惠子
帝京大学文学部准教授 元永拓郎
司会 公益財団法人 日本精神衛生会理事 高塚雄介


高塚:親自身が攻撃性を持て余していると。元永先生はどうですか。その辺について。

元永:攻撃性にも色んなタイプがあると思いますが、以前の攻撃性は自分の意見をもっと聞けとか、なぜ聞いてくれないだとか、訴える願いがあったと思うんです。願いがあるということは、大人が自分のために時間やエネルギーを割いてくれるという何らかの信頼関係が成立していたと思うんです。今の攻撃性とか不快の表現は、相手がふり向いてくれるとか時間を割いてくれるということにあまり期待を持たない。自分の中に起きたモヤモヤをただ吐き出すというような、関係性が成立しないもののような感じがします。

高塚:なるほど。少し別の角度で捉えたいと思います。摂食障害とかリストカットなどもある意味で攻撃性の歪んだ現れとして自ら傷つけると言われますね。自分を傷つけるという心理的メカニズムは、他人を傷つけるいじめとどこかで重なっている気がするんです。元永先生が言ったように自分のすることを見て欲しいとか受け入れて欲しいというものが満たされない分だけ歪んだ形でエスカレートしていく。そういう意味で今の子どもは基本的な信頼感、依存対象を見失っていると捉えてもいいかなという気がします。

元永:子どもが見失っているというより大人のほうが見失っている。こう生きていれば誰かが救ってくれるとかお天道さんは見ているとか。頑張ればなんとかなる、訴えればわかってくれて社会が自分を助けてくれる。そういうものが今、社会全体が不安になってきて関係も薄れ、地域や日本の事情だけではないことで私達の生活が脅威を受けてしまうような時代の中で不安を感じているのだと思うんです。

高塚:そういうところと関係すると思いますが、ひきこもりの調査や研究をしていると、成人のひきこもりには子ども時代に学校でいじめられていた人がものすごく多い。では、いじめが原因でひきこもったのかというと必ずしもそうではなく、あるタイプの子がいじめのターゲットにされるという結果が示されている。どういうタイプかというと、言語化能力が低い子。先ほど玉置先生は、今の子どもは言葉で相手に伝えるのが苦手だと言ったけれど、それはいじめる側よりいじめられる側が更に弱い。そういう子がターゲットにされている。今の学校教育はコミュニケーション能力を高めるとか、集団適応能力を高めることを学習指導要領で中心課題に謳っているが、ひきこもりになった人の話を聞くとそういう課題に応えられていない。またそういう課題を要求する先生が嫌いだったという人が多い。おそらくそういう課題に乗れる子はなんの問題もなく行くのだろうけれど、乗れない子を指導する力が教育の現場にはないのだと思う。置いてきぼりをくって、周囲の子どもたちからうざい奴とみなされていく。それでも学校時代はなんとかやれます。不思議なことに彼らは不登校になっていない。しかし社会に出てから行き場がない。企業がそういう能力を要求するわけです。コミュニケーション能力とか、周りと上手くやっていく力とか。そういう人が生きる場を失っている印象があります。昔もそういう人はいたはずだが片隅に追いやられるような状況ではなかったし、そういう子を目の敵にして寄って集っていじめることはなかったような気がします。こういう社会にするという目標はいいが、それに乗れない子どもをどうやって社会が支えていくかという視点が抜けているような気がするんです。

玉置:先生の仰る通りだと思います。学校が画一的なことを求めすぎ、みんなを同じところに到達させることばかり言いすぎて、言葉では「みんな違っていい」と言いながら違っていることを追い込んだり、出来ないことが人間として良くないみたいなところもあり、そこは改善しなければいけない。それぞれの子どもの違いはあるし、長けたところも不得手なところもあり、そこを認め合うカリキュラムにしないといけないと思います。教師も追い込まれているんです。ここまで到達しないと卒業させられないみたいな。そういう中で苦手な子、更には言語化出来ない子が追い込まれていく。そこは改善しないと。

高塚:日本の教育が矛盾しているのは個性を大事にすると言いながら、学校は子どもを同質化するところだという幻想がありますよね。特に義務教育では。

玉置:そこが根強いですね。子どもたちに違いを認めましょうって言って、現実にはなかなか認めないこともあるわけで。どうしたら変えていけるんだろうって思います。

高塚:もう一つ、体罰がクローズアップされています。今、運動関係が中心ですが学校ではどうでしょうか。目に見えない体罰がもっとあるんじゃないかという気がしますが。

玉置:言葉の体罰は絶対あると思います。追い込んでしまうとか傷つけてしまうとか。高塚:いじめと体罰は違うという人もいますが虐待と似た構造があります。虐待でも身体的な暴力、言葉の暴力があります。またネグレクトというのもある。先生の要求に応えない子は無視されてしまうということが現実にある。

玉置:子どもを救うために何とかしないとという思いがあるので「いいんだよ」と言うところを、ひどい時には「不登校っていい事だよ。自分を守りなさい」と言うこともある。生きるために子どもが選んだとしたらそれが大事なことだと思うと言う場合もあります。

高塚:ただそればっかり言うと先生が悪いことになっちゃう。もっと他に生み出すものもあるような気がするんですけどね。

玉置:でも、現実にそういう先生はいるんです。そういう人は指導してもなかなか変わらない。そういう先生の抱えている問題を解決してあげる何かが必要だと思います。

 

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