華頂短期大学 斧出節子
子育てのいま・むかし
10数年前、東南アジアのタイで、おじいさんとおばあさんにインタビューをしたときのことです。
ご夫婦のおじいさん、おばあさんは若い頃中国からタイに移り、バンコクで結婚されました。
裸一貫からはじめられましたが、苦労の末、息子さんは会社の社長となり、裕福な生活を手に入れておられました。
その時のおばあさんの、「私が7人の子どもを育てたより、息子が2人の子どもを育てる方が大変」という言葉はとても印象に残っています。
彼らは7人の子どもをいかに苦労して育て上げたかを話してくれた最後に、この言葉を発したのでした。
貧しさから豊かさへの変化、つまり、産業化・近代化を経て、子育てが大変になっているというのは、ある意味どこも同じ状況だといえるでしょう。

そこで、子育ての昔と今の違いを考えてみましょう。
農業中心であった産業化以前の「昔」と、工業化・サービス化を経て雇用者が多くなった産業化以降の「今」を比べると、子育てのあり方には、大きな違いが2つあると思います。
まず、なぜ子どもを育てるのかといった「子育ての意味」が異なってきました。
昔の子育ては、家業(農業)をつぐ生産労働者をつくり、また、老後の親の面倒をみてもらうための要員を得るものでありました。
しかし、多くの人が雇用者(サラリーマン)へと変化するなかで、子どもは家にとっての手段ではなく、「家族との結びつきを強める」「子どもを育てることによって自分が成長する」「子どもを育てるのは楽しい」といった、いわば家族にとって子どもは精神的支えの役割をになうようになってきました。
したがって、子どもは親にとって愛情の対象物となり、子どもにできるだけのことをしてやりたいという気持ちが強くなってきました。
しかし同時に、サラリーマン家庭では、子どもに家業を継承させることができません。
それで例えば将来の子どもの生活の安定を願うために、できるだけ良い学歴を身につけさせたいと考えるのも無理ないことです。
このような子どもへの関わり方の違いが、子育ての大変さを生んできたひとつの理由として考えられます。
もう一つ異なる点は、昔の子育ては地域の共同体の中に埋め込まれていたということです。
そのため、子育ては家族のみが責任を持つものではなく、さまざまな人々がかかわっていました。
お年寄りの「親よりも近所の大人の方が怖かった」という話を聞くことがありますが、まさに地域ぐるみで子育てをしていたということがわかります。
しかし、産業化とともに地域ぐるみの子育ては消失していき、子育ては家族によって囲い込まれていきました。
現代では家族が排他的に子育てを担い、性別役割分業のもとで、家族の中でも特に母親が集中的に子育ての担い手としてその責を強く負っています。
しかも、以前とは子育ての意味が異なってきており、「より良い子育て」をめざす母親の精神的負担は、これまでの歴史のなかで、最も大きくなっていると言っても過言ではないでしょう。
アジアからみた日本の育児援助ネットワーク
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