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公益財団法人神経研究所・晴和病院理事長 加藤進昌 2.児童精神科病院への勤務大人の発達障害の臨床を始めようと思ったのは、東京大学に赴任して自閉症児の母親で精神科的な問題がある患者さんを診るようになったのがきっかけである。何度も入院を繰り返しているお母さんの診察を繰り返すうちに、この人の問題点は何だろうと疑問に思い、お子さんと同じ症状、今でいう自閉症スペクトラムに当たると思い至った。そういう目で見ると同じような患者さんは他にもいた。東大病院は自閉症児の療育についてはすでにほぼ半世紀の歴史を持っていたが、大人への対応はほぼ皆無であった。児童精神医学でカナー型もしくは古典的自閉症といわれる患児は重い知的障害を伴うことが多く、成人して一般の社会人と交差する場面に登場するとは想定されていなかった。あたかも自閉症児は成人にならないかのような扱いを受けていたのである。しかし、イギリスでの疫学研究から高知能の自閉症児を発見したローナ・ウイングが命名した「アスペルガー症候群」の登場(1981)によって世界の発達障害者に対する認識が決定的に変わったことはよく知られている。 私は2007年、東京大学を早期退職して昭和大学附属烏山病院長として赴任した。烏山病院はかつて都立松沢病院、国立武蔵療養所(現在の国立精神・神経医療研究センター)と並んで都内御三家と称された歴史を持つ民間病院だったが、多くの長期入院者を抱えて近代化に遅れを取っていた。近代化のために私が取り組んだのは、一つは精神科救急、当時厚労省が導入を進めていたものの広がりを欠いていたいわゆる「スーパー救急病棟」の導入だった。そしてもう一つ、烏山病院の存在を全国にアピールできる「大人の発達障害専門外来とデイケア」の設置であった。烏山病院は統合失調症のリハビリテーションでは、全国でも先駆けと言って良い歴史を持っており、立派な設備が整っていた。しかし、40年余を経て利用者の高齢化が進み、社会復帰のかけ声も空しく「老後のケアセンター」化しているのを目にして、ここに「大人のアスペルガー症候群のデイケアセンター」を作ったらどうだろう、若返るのではないかと発想したのがそもそもの転機であった。 大人の発達障害という問題意識は今ではすっかり社会に浸透した。法的な基盤は2005年の発達障害者支援法の施行によるものであるが、医学医療の分野でこの問題が広く認知されるようになったのは、烏山病院での診療開始がマスコミで取り上げられるようになってからのように思う。自閉症スペクトラムに効く薬は無いので、デイケアで社会的スキルを訓練し就労につなげ、さらに自立を促す流れがあって初めて機能する。この訓練の試みは、自閉症スペクトラムの大人を対象とするショートケアプログラムの診療報酬加算の実現によって実を結んだ。それにしても、このようなアプローチは「処方してなんぼ」という従来の精神科臨床のありようとはまったく異なる。薬が無いのに患者さんは次から次にやってくる。いったいこの人たちは今までどうしていたのか、見方が変わるとここまで患者さんが増えるのだろうか、どうしたらいいんだろうという日々が始まった。 昭和医科大学付属烏山病院内に設置された発達障害医療研究所の専門外来・デイケアと、ほとんどコピーで専門施設を開いた公益財団法人神経研究所附属晴和病院(2020〜2025年は小石川東京病院)を合わせると、これまでに受診した患者総数は1万人を軽く超える。初診時の診断では半数以上が「発達障害ではない」という結果であった。では半数以上の「発達障害に似て非なる人たち」はいったいどういう人たちなのか。これまで私は診断の間違い、杜撰な診断方法にいろいろな機会で警鐘を鳴らしてきた。こういう風潮に便乗してまったく根拠がない治療法を自由診療で勧めてまわる「怪しいクリニック」も出現していたので、ほとんど怒っていたと言っていいかもしれない。とはいっても、私たちの施設での診断が確実だという保証も実はまったく無い。「発達障害は何か」という問いにまだ確実な答え、客観的な証拠を用意できていないことが一番の問題である。 でも考えてみると、精神科の扱う疾患で原因から経過、転帰などのいわゆる「疾患単位」が確立した病気というと進行麻痺(神経梅毒)など数えるほどしかない。代表的な統合失調症(精神分裂病)にしても原因はいまだに不明であり、周辺の疾患群との相違などもまだまだ不明なことばかりである。そこまで言うと不可知論に近づいてしまいそうなので、もう少し現実的なレベルにすると、精神科そのものが、魔女狩りだった時代から、神経梅毒から始まって精神分裂病、躁うつ病、内因性うつ病などを切り分けて治療法を模索してきた歴史がある。それでもわからないというか、「心の多様性」のような漠然とした、病気とはみなせない「パーソナリティ傾向」という大きなブラックボックスが残る。性的違和という、もはや精神疾患には分類しない「こころのありよう」にも精神科のウイングは広がりつつある。こういった問題にも自閉症スペクトラムの臨床はつながっていく。自閉症は男性に圧倒的に多く、しかも当事者の中には性的なアイデンティティが微妙なケースにしばしば遭遇するからである。
はじめに 〜自分史ことはじめ〜 |
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