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No.3 勤労者の自殺をめぐる諸問題

帝京大学医学部附属溝口病院精神科 張 賢徳
イラスト 清水 徳子


2.勤労者の自殺の実態─社会経済的な側面

日本の年間自殺者数が1998年に一気に3万人の大台を突破し、以後もその大台が維持されたままであることは既によく知られている。1998年の自殺者激増の性差をみると、男性の急増が目立つ(図1、図2)。前年比増加率は男性で40.2%(1997年16,416人、1998年23,013人)、女性で23.5%(1997年7,975人、1998年9,850人)であった。年齢別では、40歳から60歳代の急増が顕著で、40歳代の男性が前年比33%の増加、50歳代男性が53.8%増、60歳代男性(64歳まで)が44.5%増であった。このように、1998年の自殺者激増の背景には、中高年男性の自殺者激増があった。

1998年以降、男性の自殺は55〜59歳をピークに40歳から65歳にかけて大きな山が形成されている。この部分が「激増」の主要部分である。女性の場合は、激増前後でそれほど目立った変化はみられない(図2)。1998年の全自殺者中、40歳から64歳の男性自殺者の占める割合は39%という非常に高い値であった。以後もその値は40%前後で推移し、いわゆる働き盛りの男性の自殺が今の日本の深刻な問題なのである。直近の2006年のデータでは、高齢群を65歳で区切るのではなく60歳で区切る分類法になっているので、40歳代と50歳代でみてみると、40〜59歳の男性自殺者の割合は30%(9,523人/32,155人)であり、依然として非常に高い値である。自殺者の3人に1人が中高年男性なのだ。

1997年は日本経済にとって極めて象徴的な年であった。北海道拓殖銀行、山一證券などの超大型倒産があり、日本全体が陰鬱な雰囲気に包まれた。暗い雰囲気の背後には、倒産件数と完全失業率の増加という実態も存在した。日本人男性の自殺率は完全失業率と見事に相関する(図3)。しかも、先述のように、40歳代・50歳代の男性の自殺者が非常に多い。この年齢は働き盛りで壮年期とも呼ばれる。一家の大黒柱であり、職場でも責任ある立場を任される。それ故に、経済不況の直撃を肌身に感じ、不況がもたらす種々の変化と打撃を直接的に受けてしまうと考えられる。「経済不況によるストレス→自殺増加」という図式はおそらく当たっているだろう。

不況と言えばリストラや倒産がすぐに思い浮かぶが、経済不況の影響は、残された勤労者にも及ぶ。「リストラや倒産を免れたからよかった」と手放しで喜んではいられないご時世なのである。まず、過労の問題がある。会社の人員が削減されたわけだから、一人当たりの仕事量が増える。次に、リストラする側としての苦悩がある。特に管理職の立場の人が、部下にリストラを宣告する辛さを味わう。職種別の自殺データをみると、1995年に比べ2000年では、男性の管理職、専門・技術職、サービス業で自殺増加率が高い。過労や精神的ストレスを受けやすい職種の自殺が増えているといえる。

女性でも職種別にみると、管理職の自殺率が高く、また自殺増加率も大きい。女性の管理職は男性に比べると数がはるかに少ないので、自殺率のデータは変動しやすくなる。したがって、男性の場合ほど断定的な物言いはできないが、少なくとも勤労者のメンタルヘルス対策が重要であることは確かだ。そして、その内容は職種や性差を考慮したきめ細かなものでなければならない。

自殺対策として、「経済さえよくなれば自殺問題も落ち着くだろう」などという声を耳にすることがある。これはあまりにも楽観的すぎるし、そもそも1998年の激増の前にも年間2万2千から2万4千の人が自殺で亡くなっていたことを思うと、暴論ですらある。「では、控え目に言い直して、経済状況がよくなれば、激増の部分は減少して、年間2万2千から2万4千のペースに戻るだろう」と言われたとしても、現時点では答えはノーである。もはや、ことはそう単純ではなくなったのだ。

たとえ経済指標が今後向上し続けても、自殺は当分減らないのではないかと思う。この十数年経済不況にあえぐ中で、日本の社会構造や職場環境が激変してしまったことが大きく関係している。例えば、終身雇用制と年功序列制の急激な崩壊と、代わって台頭した成果主義。これはリストラや倒産による失職に劣らず大きなストレスだろうと思う。このために過労やリストラ不安が生み出され、働き盛りの男性がストレスとプレッシャーに晒され続けている。もう1つ、年金制度の崩壊も大きいと思う。一家の大黒柱としては、先行き不安を感じずにはおれないだろう。

安心感がもてないという状況が大きなストレスなのだ。「勝ち組・負け組」、「二極化」、「格差」、「ワーキングプア」などという表現もよく使われるようになった。多くの中高年男性にとって、「うつ」と「不安」の両方を背負わされた状況が続いているのである。そのような状況は、うつ病発症の準備状態とも言えるだろう。

3.勤労者の自殺の実態─精神医学的側面

1.はじめに─なぜ自殺予防が必要なのか?
2.勤労者の自殺の実態─社会経済的な側面
3.勤労者の自殺の実態─精神医学的側面
4.おわりに─自殺予防対策について

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