3 いじめと学校
いじめは、私たちの社会に連綿としてあった。少なくとも私が小・中学生のころにいじめ死が相次いでから30年、未だにいじめで子どもたちが死んでいる。だから、実は、いじめの授業は気が重い。これでいじめがなくなるなどとは到底思えないからである。しかし、私たちは、できることをひとつずつやっていくしかない。
私は、教師の代理人として事件を数件やっており、教育現場についてお聞きすることも多い。また、一昨年からは、親として学校に出入りする機会もある。No.7で溝口先生が書かれたように、今の教師はたいへんである。溝口先生が拾われた「実際に授業をしている時間は全体の4分の1程度かもしれない」「もっと子どもたちと接する、教師本来の仕事がしたい」という声は、私もよく聞く教師の本音である。
このような現状で、教師が1人1人の子どもの状況を把握することは、本当に困難だ。いじめ死があると、なぜいじめに気付かなかったのか学校が責められることがあり、そして私自身そう思うことも多いが、教師に時間を与えることが最善の解決方法だと思う。しかし、それには時間がかかる。訴訟になっている過去の事例などから学ぶべきことはたくさんあり、今、できることをひとつずつやっていくしかない。まずは、教室にいじめはあるものだという前提で考えてほしい。これだけたくさんあるいじめが自分の教室にだけないことは多分ない。いじめにつながる兆候が何か見つかったら、自分で打ち消すのではなく何気なく探ってほしい。親にも注意を促してほしい。次に、いじめはいじめられている子が死ぬかもしれないという問題であることを改めて確認してほしい。いじめに関する相談が来たら、真剣に受け止めてほしい。そして、いじめに関する相談ができる教師をたくさん育ててほしい。他のクラスの担任でも養護教諭でも管理職でもいい。相談できる教師が一人いることによって、その子が救われることもある。
相談する相手は教師でないほうがいい場合もある。スクールカウンセラーが本当に学校から独立しているだろうか。子どもからスクールカウンセラーまでの距離が遠くはないだろうか。地域の大人や他の子の保護者が一番の相談相手かもしれない。学校とこうした大人との距離が遠すぎてもいけない。
4 いじめと子どもの居場所
私たちは、子どもは学校に行くべきだと思っている。学校でしか学べないこともある。しかし、子どもがいじめで死にそうになっている学校は、もはや行くべきところではない。隣の学区の学校への転校などでも解決できないようなら、しばらくの間「学校に行かないこと」も検討すべきである。教育委員会が設置する教室、NPO法人などが設置する教室など、学校以外に(学校ほどでなくても)学力や社会性を身につけることができる場がある。私たちは、さらに多様な居場所を用意し、いじめにあった子どもたちがみな生き抜けるようにしたい。 |