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帝京大学准教授元永拓郎 3.子どもにどうかかわるかこのような災害にさらされた子どもに対して、大人はどうかかわるべきか? 複合的でかつ多様な災害に対して、こうすればよいという明確な答えがあるわけでなく、時として医療的ケアも必要となることをご理解いただいた上で、いくつか述べたいと思う。 まず大原則は、災害にさらされる程度をなるべく小さくするということである。別の言い方をすれば、災害の凄まじさや危険からなるべく遠ざけ、安全で安心した状況に置くよう配慮するということである。大人が殺気だっている状況にいれば、子どもは相変わらず危険にさらされていることになる。穏やかな雰囲気を作り安心して雑談ができる環境を確保することで、心が災害にさらされる程度が少しずつ下がる。 次に大切なことは、子どもを孤立させないということである。災害のもっとも大きな心理的影響は、人を孤立させるということである。それまで普通にあった家族のぬくもりや友だちとのじゃれあい、先生との交流、それらを一瞬にうばってしまう。喪失を前に、子どもの心は凍りつき、青年は虚無感に包まれる。たとえ一緒に生活していても、実は心の中は孤立している場合も多い。「心配させたくないから元気なふりをする」中で子どもの心は孤立を深める。子どもに笑顔で接する、話を聴く姿勢で常に接する、一緒に遊ぶ、共同で作業するといった常にそばにいる大人の存在が重要となる。 また、災害前の日常の生活習慣に少しずつ戻ることも重要である。学校に行って友達と会って、先生の顔を見て、勉強して、休み時間に遊んで、家族と学校の話をして、といった学校生活や家庭での日常生活になるべく近づけていくことが大切と思う。日常の生活習慣に身を置くことは、きちんと生活が送れているといった自信や安心感につながるし、めりはりのある生活は、「考え続けること」から気持ちを切り替える助けとなる。災害の悲しみに向き合うことは時に重要だが、考え続けて頭をかたときも離れないという状態は、好ましくない。災害の前の生活に少しでも近い生活習慣を体感することの意味は大きい。 ただしここで気をつけるべきことがある。ひとつは、以前の生活習慣に戻るペースは人それぞれだということである。3カ月たったからとか、半年たったからなど、災害のショックから自分の気持ちを無理に切り替えがちだし、子どもを励まそうと大人もつい「亡くなった子の分までがんばろう」と言ってしまいがちである。普段の生活に戻ることを喜びつつも、急がず無理しないでよいこともまた子どもたちに伝えたい。付け加えると、以前の生活習慣に戻ることは、災害を忘れることにつながるのではないかとか、普通の生活に戻り楽しむことは亡くなった友達に申し訳ないなどの罪悪感を子どもが持つ場合もある。これらも災害にさらされた者として自然の心理であることを、ぜひとも子どもと共有したい。そして焦らずゆっくりと日常生活を立て直していくことを話し合うとよいであろう。 それから、もともとの生活習慣が子どもにとって好ましくないものであった場合も、注意が必要である。災害が起きる前から不登校だったとか、いじめられていて学校に行くのが苦痛だったなどの場合である。中には、「災害が起きて学校に行かないでよくなって助かった」とひそかに考えている子どももいるかもしれない。このような心理については、個別に丁寧に考えていく必要もあるだろうが、災害支援も不登校への対応も共通している点があると言う指摘を以下に紹介したい。 小林(2011)は、不登校児童・生徒を少なくするための教員のかかわりとして、「本人の好きなこと、得意なことを探り、その面でつきあうようにする」「本人が安心していられる場をつくる」「登校時にはあたたかい声をかける」「不安や緊張や怒りや嫌悪などの不快な感情を言葉で表現できるように促す」などが重要であることを挙げ、これらが被災地での子どもの支援の原則でもあると述べている。私もこの提案に賛成したい。これらのかかわりは、子どもへの安全感覚を育み、孤立させず、日常生活をより質の高いものに変えていく。災害をきっかけとして、子どもへのかかわりがこれらの原則を通じてより丁寧になることで、以前かかえていた子どもの問題がまた違う形に展開する、時に好ましい方向に進む可能性に私は注目したい。 災害の凄まじさにさらされることで、私たちは自分の中に生じたショックや恐怖をどう扱ってよいかわからなくなる。子どもはなおさら自分で自分の感情をコントロールすることに自信をなくし、自己表現することに困難を抱えることになろう。小学校年齢の子どもが自己表現を最も得意とするのは遊びの場である。遊びの場に大人は寄りそい不安や緊張、怒りの表現をよく観察し、自己表現を基本的には応援するとよいだろう。遊びの場は、ルールを守ったり譲り合う場とあったり、自己表現と同時に自己制御も求められる場でもある。その自己制御がうまくできず、喧嘩が増えたり自分勝手な行動で周囲を困らせたりなどの行動から、心の中にある傷つきに向き合えない子どもの心理に気づかされることもある。負の行動の背後にある怒りや恐怖が子ども自ら語られるようになるまでに、少し時間がかかるかもしれないが、もし語られることがあれば、その大切な語りにじっくりとつきあう大人の存在が大切となる。 ここで留意すべきなのは、災害による傷つきや恐怖の自己表現を、あまり急いで促さないということである。災害体験を集団の場で絵に描く強い促しは一般には好ましくないとされる。もちろん子どもが自ら津波の絵を描く時は、それをしっかりと受け止める必要があるが、周囲が積極的に描かせると、向き合う準備ができていなかった子どもが、絵を描くことで傷つくことになりかねない。 子どもは、大人が災害による傷つきにどう対応しているかをよく観察している。大人が安心感をかもし出していれば、子どもも安心感の中でまるで災害のことを忘れたかのようにふるまうこともあろう。大人が悲しむ姿を見て子どもも悲しみ方を学ぶこともあるかもしれない。大人が災害による傷つきを語ることから、子どもも傷つきへの向き合い方を学ぶこともあるだろう。悲しみへの向き合い方や自己表現には、こうすべきというモデルはない。語ることが早すぎることや遅すぎることをあまり気にせずに、語られるその時を大切にしていただければと願う。 自己表現に関してもうひとつ。災害時の無力さから、自分がスーパーマンになって人々を救うと言う空想にはまり込む子どももいる。この空想自体は自己効力感を回復させるための一時期の反応としては悪いものではないと思うが、この空想が固定化し、または戦争や格闘ゲームで自分が強い存在として居続けることに没頭するなどの場合は、注意が必要である。思春期から青年期にかけてのネットゲーム等への依存の中に、災害による心の傷つきの影響がないか充分気をつけたい。 1.災害にさらされるとは |
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