太刀川 弘和 Hirokazu Tachikawa
筑波大学医学医療系臨床医学域災害・地域精神医学
【〒305-8575 茨城県つくば市天王台1-1-1】
Department of Disaster and Community Psychiatry, Division of Clinical Medicine, Faculty of Medicine, University of Tsukuba,
1-1-1 Tennoudai, Tsukuba City, Ibaraki 305-8575, Japan
4.支援者自身の心のケアと向き合えること
コロナ禍前後には、感染症災害がもたらす特異な影響についていくつかの論考が発表された。ウォルター・シャイデルは、「暴力と不平等の人類史」9)の中で、革命、戦争、崩壊に加え、疫病が所得の不平等格差を一時的に均衡させる装置であると述べ、ペストの蔓延によって小作人が大量に亡くなったために、小作人のニーズが高まり、貴族が没落し、ブルジョアが誕生した歴史を記述している。またこの歴史書では、疫病対策が不十分なことが民衆の支配階級への不満を生み、革命や戦争につながる様子も描かれ、今日のウクライナ戦争も予感させる。コロナ禍が始まった頃に出版された広瀬巌の「パンデミックの倫理学」10)では、WHOのパンデミック対策の倫理原則検討会の議論が紹介されている。そこでは、パンデミックでもっとも基本的な対策策定上の倫理原則は救命数の最大化であり、それには誰もが公平に損得を得る「公平性」と対策の情報公開と規範順守を示す「透明性」が必須であるとされた。このように疫病災害によってもたらされた不平等の支配層への怒りや感染対策により導入・強化された公平性と透明性の倫理原則は、倫理の暴走となって、フジテレビ事件に代表されるキャンセルカルチャーやスケープゴート現象を頻発させていると思われる。医療従事者の燃えつきは、働き方改革の実施や地域医療構想も相まって医療組織の静かな崩壊をもたらしつつある。
斎藤11)は、「コロナによって生じた過度の倫理的振る舞い(コロナ・ピューリタニズム)や、特異な外傷体験(失われた環状島)は、コロナ禍でなければ問われなかった事象であり、おそらくコロナ禍が過ぎてしまえば、社会が驚くほど変わっていないことに人々は気づかされるだろう」、とコロナの禍中で語っていた。しかし、ここまでの考察でわかるように、直接の恐怖は減り、一見社会が平穏に戻ったようにみえても、コロナ禍はウイルスから情報に形を変えて今も世界中の人々に猛威を振るい、個人を超えてわれわれのメンタルヘルスに深刻なダメージを与え続けている。
2025年2月現在、コロナ禍は終わっていない。
参考文献
1)NHK感染症と医療・健康情報.新型コロナ(www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/)
2)Takahashi S, Manaka K, Hori T,et al: An Experience of the Ibaraki Disaster Psychiatric Assistance Team on the Diamond Princess Cruise Ship: Mental Health Issues Induced by COVID-19.Disaster Med Public Health Prep 12:1-2, 2020.
3)太刀川弘和: COVID-19関連メンタルヘルス―全国調査結果から.日本医師会雑誌150(6):973-977, 2021.
4)NHKスペシャル取材班:NHKスペシャル「コロナ危機 女性にいま何が」データ集.(https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0020/topic004.html)
5)厚生労働省自殺対策推進室・警察庁生活安全局生活安全企画課:令和2年中における自殺の状況.令和3年3月16日
6)瀬尾恵美子, 太刀川弘和:医師,医療者のストレスとCOVID-19. 精神科38(6):702-707, 2021.
7) Ishikawa A, Tachikawa H, Midorikawa H, Tabuchi T: Exploring the relationship between personal and cohabiting family members’ COVID-19 infection experiences and fear of COVID-19:a longitudinal study based on the Japan COVID-19 and Society Internet Survey (JACSIS). BMJ Open. 2024 Dec 20;14(12): e087595.
8)内閣府:こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度), 2023.
9)ウォルターシャイデル(著),鬼澤忍,塩原通緒(翻訳):暴力と不平等の人類史:戦争・革命・崩壊・疫病. 東洋経済新報社, 東京,2019.
10)広瀬巌:パンデミックの倫理学: 緊急時対応の倫理原則と新型コロナウイルス感染症.勁草書房, 東京, 2021.
11)斎藤環:コロナ・アンビバレンスの憂鬱.晶文社, 東京,2021.
1.はじめに
2.コロナ禍で生じたメンタルヘルスの諸問題
3.ポストコロナ社会のメンタルヘルス
4.コロナ禍は終わったのか