大正大学教授 村瀬 嘉代子
家族生活の持つ難しさ
家族に期待されている機能はそもそも矛盾した要素を含んでいます。以下に例示してみましょう。
a. |
甘える・憩うこと |
対 |
しつけ・教育 |
b. |
親密さ |
対 |
適切な距離感・乳幼児であっても基本的に個人としての人格を認める |
c. |
役割期待 |
対 |
自由な交流・役割互換性があること |
d. |
その家族らしい価値観 |
対 |
世の中の普遍的価値観に準拠する |
家族の大切さを承知しながらも、人が何かしら家族生活に対して、時としてある種の難しさや煩わしさを覚えるのは、このような二律背反的な課題に対して、どのように適切にバランス感覚を働かせて対応していったらよいのかが問われていることによりましょう。子どもに対して、甘えや憩いは無際限というわけにはいかず、時には不退転の壁のような強さで、ことの理非を明らかに示し、教育的に振る舞わねばならない局面があります。また、家族であるからこそ、こころを通わせあい、親密な関係を持てるわけですが、これとても、相手の人格を認めずに、こちらの一方向的な想いだけで距離感なくかかわってよい、ということではありません。なお、家族成員にはそれぞれに性別、年齢、家族構成の中の位置づけに応じて、役割期待がありますが、これを固定的に捉えるのではなく、一人の成員に何かことが生じれば、他の成員が代わって演ずる、例えば母親が病になれば、たちどころに食事の用意や家族諸々の対応が立ち往生してしまう、などというのではなく、他の家族が助け合い、代わって対応することが出来る、ということが求められます。そして、その家族らしい独自の文化、価値観、暮らし方というものがあってこそ、家族生活は味わい深いものになりますが、しかし、その家族独自の文化は世の中の普遍的価値観、倫理性などに外れたものであってはならないのです。
つまり、家族の生活を円滑につつがなく送るには、バランス感覚、ほどよく折り合うセンスが求められます。これは自己を主張したい、と願う現代の人間にとって、意外に難しいことかもしれません。家族生活というのは、それが失われたり、何か歪みが生じると、その大切さに人は気付くのですが、一応つつがなく生活が運んでいる時に、何か面倒、少し煩わしい、という感覚を呼び起こすのだといえましょう。
聴くということ
はじめに
家族生活の持つ難しさ
聴くということ
言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーション
家族生活は創造の場