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こころの健康シリーズ] 成人の発達障害とメンタルヘルス

No.1 児童青年精神科と発達障害
―自分の経験を中心にー

日本発達障害ネットワーク・日本精神衛生会 市川宏伸


2.児童精神科病院への勤務

 昭和50年代後半に奉職した梅ヶ丘病院には8病棟あり、児童病棟、学童病棟、4思春期病棟、重度知的障害病棟などがあった。全体では170名ほどの入院児がいたが、びっくりしたのは、約70名ほどが20才を超えていたことであった。

 初めに勤務したのは、知的遅れのない思春期の男子病棟であり、約30名の男子が在籍していた。医師1名、1看護単位(16名)があり男性看護師が半数を占め、更に、心理師、PSWがいた。外来に来る患児のうち、一番多いのは現在と同じで不登校児であった。当時の不登校児は、学力優秀な者が多く、病気などで一時期休んだ後で、「どうして以前のような成績が取れなくなってしまったのか?」と焦って不登校になる場合が多かった。学校に行けないことを家人から叱責され、自分でも困ってしまい、家庭で暴れ、入院に至ることが多かった。多くの入院児は、入院に至るまでは、抵抗することもあったが、大抵は病棟に入って30分から1時間すると集団に打ち解けていた。ここで集団に入れない場合は、何らかの精神疾患の存在を考える必要があった。院内に特別支援学校(知的障害)の分教室があり、ほとんどの例は、院内学級に通い、自信がついてから地元の学校に戻っていった。学籍は院内学級において、入院前の学校に登校する試験登校≠ェうまく行くかどうかの目安になっていた。現在の不登校児は、必ずしも学力優秀ではなく、発達障害などの存在で人間関係などがうまく行かず、自宅でゲームやYouTubeに打ち込んでいる例が多い。今では、不登校児が世間に大勢いることは知られており、家人も登校を迫ることは減っており、自宅で暴力を奮う者も減っている。中学卒業後も、受け皿となる通信制高校などが充実しており、現在は、学校に行けないことで深刻に悩む家人・生徒も減っている。

 奉職後2年目に担当したのは、約25名の知的障害を持つ思春期女子の病棟であった。ここでは、知的障害を持つ自閉症児がかなりいた。現在でいう、強度行動障害児もおり、室内の木製柱や窓際の木製の袖は齧られてなくなっていた。対応する看護スタッフなども大変であった。初めて病棟に行った際には、天井に飯粒がついていたのでびっくりした。看護スタッフに聞いてみると、食事を拒否する入院児が5〜6名以上おり、寄り添って食事をすれば1人当たり30~60分かかり、これを1日3回行えば、10~15時間かかることになる。このため、マットを敷いて、寝かせて、口の中へ食物を押し込んでいた。この際に噴出した飯粒が天井に飛んだものであった。看護スタッフに「過去に事故は起きてないか?」尋ねたが、「一度も起きていない」との事であり、「生じた場合は、医師が責任を負う」こととしたが、幸いにも一度も事故は生じなかった。

 約70名もいた20歳以上の入院児(過年児)の存在は、新たな入院の妨げになり、病院そのものの施設化を引き起こしていた。家族に「お宅の子どもさんは安定期にあり、入院継続は必要ないので退院でよいと思います」と言うと、「先生はそうおっしゃいますが、以前に入院した際の担当医からは『完全に治ってから退院してもらいます』と言われてますので退院させません」と主張するのが常であった。10年以上も前の担当医が何を約束したかは分からないし、その時の担当医はどこに居るか分からなかった。暫くすると、「私の人生がかかってますので、退院させないでください」と、事務長から言われた。家族は家族会で話し合っており、議員に「退院させないよう」頼み込んだに違いなかった。選挙の票になると考えた議員から事務長に圧力がかかっているのは明らかであった。医師は行政人ではないので、議員は医師には圧力を掛けられないので、そのような連絡は事務長に来ていた。当時の院長は、「年頭に当たって、今年こそ過年児をなくそう」と号令を出してはいたが、事務長の行動には目をつむっていた。退院を家族が嫌がる背景には、長期間の入院で、自宅にはもはや患児の居場所がないこと、また「施設に移ると、子どもに出ている手当や障害年金を施設に預けるように言われ、自分たちの自由に出来なくなるからいやだ」、と言う家族もいた。ある時には、「自宅のローンを病院が払ってくれれば、退院して施設に移ってもよい」と言われたこともあった。子どもに出ている障害年金を、自宅ローンの返済に使っていることは明らかであった。このようなことを繰り返しているうちに、入退院のない病院は、施設化が進む一方で、治療意欲の乏しい医師の中には、週に1回しか病棟に行かない者もいた。そのような状態の中で、何とか本当の意味の病院にしなければいけない、と考えていた。石原知事が、「東京都の病院は赤字であるから、廃止すべきである」と発言し、都立病院半減化政策の中で、3小児科病院合併新築計画が進行し、この問題が解決したのは、皮肉なことであった。

 

3.知的障害児施設への勤務

1.子どもの精神科との出会い
2.児童精神科病院への勤務
3.知的障害児施設への勤務
4.児童青年精神科と発達障害/5.終わりに

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