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京都大学大学院教育学研究科教授 山中康裕 3.そもそも歌を取り入れることとなったきっかけそもそも痴呆病棟で、歌を取り入れることとなった経緯はといえば、二つほどのエピソードが思い浮かびます。
実は、あとになって分かったのですが、彼女は、三味線の元お師匠さんでした。「二の糸」とは、言うまでもなく、三味線の真ん中の糸のことで、歌に合わせて、冗談に、三味線を弾く真似をした私の手つきをみて、急に、往時の彼女が蘇ったのでしょう。私の手の甲を打たれた彼女の力はどこから出たのかと思われるほど強く、私はとっても痛かったのでした。 もう一人の老婆は、いつも、その部屋の入り口の柱に背もたれされて、座っておられ、いつも何か独語してられたが、よく聞き取れませんでした。その日も、私は、例の元お師匠さんを訪ねて、タタミの部屋で、2、3曲といわず、数曲歌っていました。すると、柱の彼女が、「あいつ、なげぇなぁ」と大きい声で言われたのです。それを聞き留めた私は、”こぉきぃりぃこぉのぉ〜と次の曲を始めると、「ただで入りよってからに」と苦々しい表情をされたので、彼女の側に戻って、「本当はおいくら払えばよかったのですか?」と尋ねると、「2銭」との答えがかえってきました。 実は、彼女は、40年間番台に座っていた風呂屋の女将だったのでした。彼女にしてみれば、部屋の中で歌う私は、さしずめ、タダで入って、長々と民謡を唄っていい気分に浸って湯につかっている客とみえたのでありましょう。
いずれも、歌が縁になっての出会いでした。こんなことがきっかけで、病棟で歌を歌うことに大きな意味があることに気づいたのです。 1.高齢者において残されている能力 |
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